生きるためのセミリタイア

当たり前を疑い、40代セミリタイアを目指す

ホラーが苦手だけど、好きなホラー作品

「ぼぎわんが、来る」を読んで、自分とホラーとの関係性を考えてみた。

 

○ホラーはどちらかというと苦手

ホラーがあまり得意ではない。

小説だと貴志祐介「黒い家」と、道尾秀介の短編集くらいであまり読んでないし、
目に焼き付いて忘れられなくなりそうな見た目の怖さやグロテスクさ、そもそも驚かされるのが苦手で、ホラー映画はほとんど観ていない。
お化け屋敷もそうだが、いきなり出てきたらびっくりするのは当たり前なので、びっくり系は好きではない。

○それでも好きなホラー漫画

それでも好きな作品がある。

ホラー漫画だと伊藤潤二と、山岸凉子の作品が好きだ。

・伊藤潤二 

うずまき (ビッグコミックススペシャル)

うずまき (ビッグコミックススペシャル)

  • 作者:伊藤 潤二
  • 発売日: 2010/08/30
  • メディア: コミック
 

 

伊藤潤二作品は結構グロテスクな描写もあるが、繊細なペン画が美しい。
怪異現象との距離の取り方が独特というか、どこかドライな視点があって、ホラーが苦手でも読みやすい。

「よくこんなこと思いつくな…」という短編がぎっしり詰まっている。
伊藤潤二作品を一言でいうと、「良質な悪夢」だ。
怖い夢や変な夢を見て、「でもなんかよくできてたな、完成度高かったな…」と思うことが時々あるのだが、その感覚に近いものがある。

特に好きな作品は、「道のない街」「長い夢」「記憶」など。

“鬼才”って、こういう人のことを言うのだと思っている。

・山岸凉子 

汐の声 (山岸凉子スペシャルセレクション)

汐の声 (山岸凉子スペシャルセレクション)

  • 作者:山岸 凉子
  • 発売日: 2010/01/18
  • メディア: コミック
 

 

山岸凉子はホラー漫画家ではないが、怖い短編が結構多い。サイコホラーが主だが、オカルト系もある。
怖すぎてあまり思い出したくないのだが、後者の代表作は「汐の声」「私の人形は良い人形」(こちらは表紙の時点で怖くて見たくないので、リンクも貼りません)など。
山岸凉子作品はホラーに限らず家族関係がテーマになっているものが多く、「家族といったって味方とは限らない」「親が一番の敵ということもある」という世界観を10代の私に教えてくれた。もう少し大人になってから読んだほうがよかったかもしれないが、後悔はしていない。

好きな短編は「天人唐草」「パイド・パイパー」など。

何十年も前の作品であっても、今読んでも古くなっていないところがすごい。今だと「毒親」とかそういう言葉があるけど、いち早く描いていたのだと思う。

クラシカルかつ今どきのホラー小説、澤村伊智「ぼぎわんが、来る」

(注意:ストーリーの核心には触れませんが、若干ネタバレがあります。)

澤村伊智「ぼぎわんが、来る」(角川ホラー文庫、2018年)

 

ぼぎわんが、来る (角川ホラー文庫)

ぼぎわんが、来る (角川ホラー文庫)

  • 作者:澤村伊智
  • 発売日: 2018/02/24
  • メディア: 文庫
 

  

・今さら読みました

2015年の刊行時から気になっていたのに、なんとなくずっと読むのを先延ばしにしていた本。
単行本の帯には、選考者の評として「選考をしていて続きを読むのが楽しみだった」というような内容が書かれており、
大多数の選考作品は続きを読むのが楽しみではないんだな~大変だな~と思っていた。

面白そうなのに読んでいなかった理由は、「めちゃくちゃ怖そうだから」である。
ホラーがあまり得意じゃないのだ。

でもやっぱり気になるので、今さらながら読んでみた。
ある地方に伝わる化け物がいて、訪ねてきても返事をしてはいけない、とかそういうクラシカルなホラーの設定をベースにしつつ、家族の抱える問題とか現代的なテーマが描かれていて、とても完成度が高かった。

・認知の歪み?

主人公・秀樹の思い込みの強さ(認知の歪みというのか?)が見え隠れする。
開始早々、妻・香奈と出会う前の回想でこれだ。

やはり心のどこかで一人っ子であること、親の面倒をみなければいけないこと、それには伴侶となる女性が必要であることを、常に感じていたのだろう。

怪異部分の回想でもないため、さらっと読み飛ばしてしまいそうだが、「ピピー!」という感じで引っかかった。
なぜ親の面倒をみるのに妻が「必要」なのか?実は全然つながっていない。論理の飛躍である。
独身者だって親の面倒は見るだろう。既婚のきょうだいが育児に追われているからメインで関わってるという人もいるだろう。

そして何より、ナチュラルに自分じゃなくて妻が、自分の親の面倒を見ると思っているのだ。
なんかこれは後々、厄介なことになるのでは…?と思ったら、案の定だった。。

・「イクメン」への痛烈批判

作者は自称イクメンに恨みでもあるのか?というくらい厳しい視線が向けられ、これでもかと描写されていた。
一つ一つのエピソードがいかにもありそうな感じで、この部分は夫の愚痴系Twitterぽかった。妻が風邪を引いた時の対応とか、よく見かけるやつだ。

特によかったのは「パパ名刺」だ。そのままじゃなくても、似たようなことを本当にやってる人が現実にいるんですよね…?見てるこっちが恥ずかしいくらいの代物で、秀逸だった。
化け物とかあんまり関係ないけど、これが出てくることでクライマックスの一つが形成されていた。

・家族礼賛ではない

なんとしても子どもを守る!という親の気持ちの切実さは、子どものいない私にはただ想像するしかない。しかし本作では、子どものいない側の視点も大切にされている。
また、家庭という場が、特に妻や子という立場にある人にとっては安全でない場所になることもあったり、どす黒い感情が渦巻いていたり…という、できれば直視したくない現実もしっかり見せつけてくれる。
個人的にそこを「家族=ハッピー」という一色で塗りつぶしてしまう人が苦手なので、その点でも本作は素直に読むことができた。

・おわりに

「ぼきわん」は怖いし強いし、しぶとすぎて、途中から麻痺して笑える感じになってきた。
特徴(返事してはいけない)とかはわりとどこかで見たような感じだが、作者自身もそのことは明らかにしている。

ホラーとしての面白さだけでなく現代的な視点があって、作者の家族観に共感するところがあったので、ほかの作品も読んでみたい。

鈍感にならざるを得ないのに、気遣いを求められる

労働なんて、鈍感にならないとやってられない。

  • 快晴の日に、ブラインド閉めっぱなしの建物に朝から晩まで閉じこもる
  • 誰からか分からない電話に出る
  • 「うちの会社にはLGBTとかいないから大丈夫」的な感覚の上司と会話する

など、そういう鈍感にならないとやってられないことが毎日発生する。
だから感受性レベルをがんがん下げて鈍感になり、ちょっとしたことでは動じない自分を作る必要がある。

そのわりに、

  • 相手の気持ちにも配慮しつつ、うまく自分の要求を通せるよう調整する
  • もはや過去の遺物となった「職場の飲み会」*1では、近くの人のグラスが空きそうになったらメニューを手渡し注文を聞く
  • 相手のちょっとした変化に気づいて声をかける

とか、下げまくった感受性レベルではできないようなことも求められる。

鈍感じゃないとやってられない環境を作っておいて、繊細な気遣いを求める。
ダブルスタンダードじゃないのか。
そんな器用な使い分けはできない。

少なくとも、「うちの会社にはLGBTとかいないから大丈夫」とか言ってしまうような雑な感覚の持ち主は、他人に気遣いを要求してはいけないと思う。

 

*1:コロナ禍が収束したとしても、もう職場の飲み会には行かない。「なんか昔はそういう慣習があったらしいですね~」というスタンスで、葬り去ることにしたい。

みんなみたいになりたくてもなれなかった

みんなが普通にやっていることが私にはできない。
私はみんなとは違う。悪い意味で。
周囲を見下しているのではなくて、みんなみたいになりたくてもなれなかった。
子どもの頃からそう思っていた。

例えば内向的な性格なのに社交的にふるまうように、
自分を作り替え、変形させ続けることで適合しなければ社会の中で生きていけないのであれば、
そんな鋳型のような社会からは脱出したい。

自分は高尚な趣味を持っているのだと言いたいわけではなく、
マンガといったらワンピース、西野カナの歌詞めっちゃいい、
制服ディズニー!
という人であれたらよかったのに…真剣にそう思う。

そしたらたぶん地元にとどまり、20代半ばには結婚して、とっくに子ども二人くらい産んでたかもしれない。
夫をはじめ、周囲の人に恵まれれば幸せな人生になるだろう。
しかし、そういう「女性らしい」生き方は、何かあったときに(DVからの離婚、とか)詰みやすそうだ。
自分で動かせる部分が少ない、運によるところの大きい人生といえるかもしれない。

今はネットで個人の言葉に触れることもできるから、ワイワイやるのが苦手という人も結構いるんだとわかって心強い。
私は自分なりの楽しさを見つけ、味わっている。
それで満足だけれども、人との交流やイベントごとを楽しめる人が羨ましいとも思っている。

日本の家は寒すぎる!笹井恵里子「室温を2度上げると健康寿命は4歳のびる」

日本の家は寒い

日本に暮らす外国人の愛用品を紹介する記事で、日本より寒い国(韓国とポーランド)から来た人が、
「日本は寒い」「日本は家の中が寒い」と言っていて印象的だった。
オンドル暖房やセントラルヒーティングがある家、うらやましい。
国内でも、北海道の人が本州に来たら家の中が寒い!というのは聞いたことがある。

 

気になって室温について調べたら、ドイツでは室温19℃以下は基本的人権を損なうとされ、これを下回るような物件では賃料を減額させられるらしい。

ヒートショックだけじゃない。室温が18℃以下になると発生する健康リスクとは? | ハーバー・ビジネス・オンライン

日本の一般的な住宅では、冬の朝なんて10℃もないくらいじゃないか?
ドイツの基準では、人が住めない。物置である。。

室温の重要性

笹井恵里子「室温を2度上げると健康寿命は4歳のびる」(光文社新書、2020年) 

 やっぱり日本の家は寒すぎる!と確信できたのがこの本。

高知県梼原町の事例

高齢化がかなり進んだ高知県梼原町では、「住まいと健康」に関する大規模疫学調査が行われてきた。
その調査により、室温と健康の関係が明らかになったという。

梼原町に建てられた断熱性の高いモデル住宅は、こんな感じ。

梼原町の外気温は7.5度で、手がかじかむほどでした。でもモデル住宅に一歩足を踏み入れると、ふわっと木の香りが漂い、暖かい空気に包まれるのです。暖房はついていませんでしたが、室温計は18度近くを示していました。家の中のすべてが均一の温度空間を体感すると、普段の自分が無意識に廊下、トイレ、風呂などで「寒いはず」と身構えているのがわかります。

こんな家に住んでみたい!

日本はどうしても「我慢は美徳」とばかりに、寒さに耐えて生活する、厳しい環境でも業務に集中する傾向がありますが、それぞれの人が本来の力を発揮するには、環境を心地よくすることが大切だと梼原町の取材で改めて思いました。「快適に過ごす=体を甘やかす」ことではないのです。

そこは我慢しなくていい、と。室内、しかも自宅でまで、寒さに耐えて縮こまっていたくないよな…

 

本書の要旨

本書は集中できるオフィスづくり、色の効果なども扱っているが、室温に関する部分の要旨としては次の通り。

室温が低い家では、
・室内での気温差が大きいことによる高血圧、アレルギー
・寝室の気温が低いことによる過活動膀胱(頻尿)その他睡眠の質の低下
など健康に悪影響がある。

室温を上げれば、着込まなくてよくなり、家の中でも活発に活動するようになる。認知症予防にもなる。

 

確かに、布団やこたつから出られないというのも少なくなりそう。
冬の朝に部屋も冷え込んでいたら、布団から出られない方が正常だ。。
ひざ掛けとかでもなんとなく立ち上がるのが億劫になってしまうので、活動量は減っているだろう。

ヒートショック予防のため浴室や脱衣所を暖かくしましょうというのはよく聞くが、
室温が健康にとってこれほど重要だというのはあまり知られていない。

住宅の質の問題

日本の家が寒いのは夏を基準に作っているせいかと思いきや、夏の室内はかなり暑い。熱中症も頻発している。
だから別に、涼しい家づくりに重点が置かれているというわけではない。
断熱性が低いと、夏は外の熱が入ってきてしまうのだ。結局、室温を快適に保つということが考えられていない。

「家を持って一人前」というマイホーム幻想が根強かった割に、肝心の住み心地はちゃんと考えられてこなかったのではないか。

セミリタイアと住宅

将来的に、空き家バンクで安い家を買って住むことも選択肢にあるのだが、古い一戸建ては相当寒そうだ。
健康を害するのも電気代がかさむのも避けたい。まだ、集合住宅の方が無難かもしれない。

ほとんどの女性は気が強い説

はっきり自己主張したり、拒絶の意思表示をするような女性は、「気が強い」と直接あるいは陰で批判されることがある。
そういうのを聞くと、「いや、気が強いのは当然だろ…」と思う。

・基本、気が強い。でなければ生き残れない(たぶん)

女性が気が強いのは当たり前だ。そうでないと生き残れないからだ。
20代半ば以降で、社会と関わりを持ちつつ、メンタルを健康に保って生き抜いている女性は、気が強いか、成長過程で強くならざるを得なかった。

これは私の推測にすぎないが、子ども~少女~若い女性と成長する過程において、気が弱いままでは、他者に付け込まれ搾取され、なんらかの被害に遭ったりメンタルを病んだり、DVなどにより周囲から切り離されてしまうのではないか。
だから職場など目に見える範囲にいる=社会と関わりを持っている女性は、大抵は気が強い人しか残っていないのだ。

・隠すかどうかの違いだけでは?

気が強いのがベースとしてあって、本人にそれを隠すつもりがあるかどうか、あるいは若さ・可愛らしさで隠せているかといった表面上の違いがあるだけだと思う。
気の強さが剝き出しだと、恋愛に限らず人間関係においてうまくいかなったりするので、隠す必要も出てくる。
婉曲に表現するとか、弱そうに見せて相手に頼るとか。

糖衣で可愛く包まれているけど中味はゴツゴツしているような感じで、

大人として技術を身に着け、好印象を与えたいとか人間関係を円滑にするために隠したり、

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逆に、もう隠さなくていっか~と開き直ったり。

というだけの話なのではないだろうか。

魔女の暮らしとセミリタイア

魔女図鑑

子どもの頃、魔女になりたかった。

「魔女図鑑」という本が好きで、何度も読んでいた。
魔女の不気味なレシピや手芸、薬草やまじないなどが載っていて飽きなかった。
取れない汚れがついた服は黒く染めましょうとか、雑なライフハックみたいなものも魅力的だ。

 

魔女図鑑―魔女になるための11のレッスン

魔女図鑑―魔女になるための11のレッスン

 

 

登場する魔女たちは大抵若くはなく、それぞれ顔も体型も服装も違っていて個性的。
基本的に一人(と動物)で暮らしていて、魔女どうしの交流はあるけどわりとドライな印象を受けた。
性格は自分勝手だったり意地悪だったり、いたずら好きだったり、怠け者だったりする。

魔女=都合の悪い女?

薬草を扱い、産婆でもある「賢い女」と呼ばれた人たちが、魔女狩りの対象にされることもあったといわれる。
薬草や医療の専門知識がある、一人暮らしの高齢女性。

中世ヨーロッパといえば、女は客人をもてなすために差し出されたりとか、モノか家畜みたいな扱いをされていたらしい。
そんな社会において、若くなく生殖不可能な女や家庭に属さない女というのは、たとえ専門技能があっても煙たい存在だったのではないか?

魔女狩りの対象とされた人の中には男性も多かったらしいが、同様にコミュニティにとって都合の悪い存在が排斥されたのではないだろうか。

魔女とセミリタイアの共通点

そして今も、魔女のような存在になりたいと思っている。
ほうきに乗って空を飛びたいとか呪術で何かしたいとかではない。

社会から距離を保ち、自然に近い場所に一人で暮らし、時々は技能と引き換えに食糧など(=収入)を得る。

そういった暮らしに憧れがあるのだ。
そして今思えば、魔女の生き方はセミリタイアと似ているのでは?

実際には社会に害をなしていなくても、批判・攻撃しようとする人が出てくるところも似ているかもしれない。

私が子どもの頃にはセミリタイアなんて言葉はなかったが、憧れた魔女の暮らしはセミリタイア生活とよく似ている。
大人になっても基本的な考え方はあまり変わらないものだなと思う。

おまけ:おすすめ魔女映画

 

ウィッチ(字幕版)

ウィッチ(字幕版)

  • 発売日: 2017/12/15
  • メディア: Prime Video
 

 

ジャンルとしてはホラー映画だが、家父長制において家父長が能力不足だと家族全員がめちゃくちゃ困る…ということを実感させてくれる作品。

気まずいシーンがわりとあるので一人で観ることをおすすめします。