労働なんて、鈍感にならないとやってられない。
- 快晴の日に、ブラインド閉めっぱなしの建物に朝から晩まで閉じこもる
- 誰からか分からない電話に出る
- 「うちの会社にはLGBTとかいないから大丈夫」的な感覚の上司と会話する
など、そういう鈍感にならないとやってられないことが毎日発生する。
だから感受性レベルをがんがん下げて鈍感になり、ちょっとしたことでは動じない自分を作る必要がある。
そのわりに、
- 相手の気持ちにも配慮しつつ、うまく自分の要求を通せるよう調整する
- もはや過去の遺物となった「職場の飲み会」*1では、近くの人のグラスが空きそうになったらメニューを手渡し注文を聞く
- 相手のちょっとした変化に気づいて声をかける
とか、下げまくった感受性レベルではできないようなことも求められる。
鈍感じゃないとやってられない環境を作っておいて、繊細な気遣いを求める。
ダブルスタンダードじゃないのか。
そんな器用な使い分けはできない。
少なくとも、「うちの会社にはLGBTとかいないから大丈夫」とか言ってしまうような雑な感覚の持ち主は、他人に気遣いを要求してはいけないと思う。
*1:コロナ禍が収束したとしても、もう職場の飲み会には行かない。「なんか昔はそういう慣習があったらしいですね~」というスタンスで、葬り去ることにしたい。