素手でトイレ掃除、自分がやる分にはご自由にだけど…
経営者とかが語る自己啓発的なものとかで、
「素手でトイレ掃除」という話が出てくるとそこでもう回れ右という気分になってしまう。
先日も、「本気のトイレ掃除」という言葉に遭遇し、さよなら…と思った。
自分が家とかでやる分にはなんでもいいのだが、
学校で子どもにやらせるのは一番ひどい。逃げられないから。
そこで「なんで?」とか「やりたくない」と言うのを認めないなら、個性を伸ばすとか自主性を育むとか嘘を言うのはやめて、
学校は言われたことを疑問を持たずにやる労働者(奴隷)養成所です。と堂々と言ったらいいと思う。
なんか、子どもとか若者を自分の思い通りに動かして、悦に入ってるだけじゃないのか。
運動会の組体操問題と同じで。
舐められるくらいきれいにしろとか、たとえだとしても気持ち悪い。
「コロナチャレンジ」とかいって便器を舐めるYouTuberじゃないんだから…
なんかもっと他にやりようがあると思う
もちろんトイレはきれいであるに越したことはないけど、プロがトイレ掃除するときってゴム手袋とかして強い洗剤や専用の道具を使うと思うのだが。
宝塚の「ヘアピンで掃除する」とかも、それって大してきれいにならなさそうだし、ちゃんと掃除用の道具を使って、もっと別のことに時間を使えばいいのにと思った。
自分の生活する空間を清潔に保つというスキルは持っていた方がいいので、本格的に汚れる前にサッと掃除するとか、洗剤の酸とアルカリとか、そういうことを身につけられるようにしたらいいと思う。
運動についても同じで、体育の授業で何かを見本としてやって見せたところで大して身にはつかないし、算数とかと比べて教え方が雑だと思う。ドッジボールとかやっても投げるのが下手な人がうまくなることはなく、運動が嫌いになるだけで何の意味もない。
健康を保つため最低限の運動習慣を身に着けられるように、ストレッチとかコツコツ歩くとか、もっと継続的に将来に役立つようなことを教えるべきだと思う。