生きるためのセミリタイア

当たり前を疑い、40代セミリタイアを目指す

恐怖に名前を付けること

 

妖怪、理解できないものに名前を付けること

ホラーが苦手でも、妖怪は好きだ。
キャラクター的な要素もあるが、最も興味深いと思うのは、今よりずっと科学が発展しておらず死が身近で、夜の闇がもっと深かった時代の人たちが、
不可解な現象などに名前をつけ、対処法を作り、それで恐怖や不安と折り合いをつけていたことが見えるからだ。そんなプロセスが保存されている感じが楽しいのだ。

代表例が「袖引き小僧」や「べとべとさん」(出典:水木しげる「日本妖怪大全」)だ。

 

図説 日本妖怪大全 (講談社+α文庫)

図説 日本妖怪大全 (講談社+α文庫)

 

 


いずれも夜道に登場する。昔の夜道は現代人には想像もできないくらい暗かっただろう。

そんな中で、
・夜道を歩いていると、着物の袖が引っ張られた気がする、怖い!
→それは「袖引き小僧」の仕業だ。袖をツンツン引っ張るけど、それ以外は何もしない。

・夜道を歩いていると、後ろから誰かついてきてる気がする、怖い!
→それは「べとべとさん」という妖怪だ。道の傍らに寄って「べとべとさん、先へおこし」と言うと、ついてくる足音はしなくなる。

というように、対象に名前を付けることで対処のしようもあるし、訳の分からない恐怖から距離を取ることができる。

現代の妖怪は「病名」?

このようなプロセスは、オカルト的な分野に限られないと思う。

体調不良の場合

・特にどこが悪いわけでもないが、体調がすぐれず毎日辛い。
→調べてみたら「自律神経失調症」みたいだ。
→「副腎疲労」チェックリストによると、自分はどうやらこれらしい。

などなど。原因不明のままよりも、診断名がつくと症状はそのままでもなんだか安心する、という人は多いのではないか。

対人関係の場合

また、対人面でもよくあると思う。かなり単純化するとこんな感じだ。

・他者への共感がないみたいな人に遭遇して、理解できなかった。
→「サイコパス」というらしい。初対面だとこういう特徴があるのか、警戒しよう。

・昔から注意力散漫と言われ、忘れ物が多くて困っている。
→ADHDというのか。こんなふうにメモを作ってみよう。

最近だとHSP(繊細過ぎる人)とかもそうじゃないかと思う。

いっそ病気であってほしい症候群?

ただ、何かで読んだのだが、大人になってから自分はADHDかもしれないと思って診察を受けてみたが違って、いっそ診断名がついてほしかったのに…という人も多いらしい。
その気持ちは私も想像できる。なんらかの問題を抱えていて、いっそ診断名がつけば納得もできるし対処のしようもある。周囲に伝えたり、同じ立場の人とも交流しやすいかもしれない。
もしかしたら、「病気のせい」にすることもできるかもしれない。
でも、何も病名がつかないと、自分が悪いみたいになるし、丸腰で問題と向き合わざるを得なくなる。それはしんどいだろう。

実際、私自身もネット上で「スキゾイド」の解説を見つけて、自分はこれかもしれないと思ったらちょっと気が楽になった。
さらに、正直いって、「極度のめんどくさがり」「できれば何もしたくない」というのは私が怠惰なのではなく、(今はまだ病名のない)病気であってくれれば…と不謹慎だけど思ってしまう時があるのだ。
「脳の○○部が機能不全」とか、ゲノム解析により「先天性無気力症候群」と判明、とか。適当に作ってみたが、もしかしたら10年後にはそういうのがあるかもしれない。

怪異と名前

名前を付ければ恐怖が収まるというほかにも、怪異と名前にまつわるパターンは多い。

化け物の名前を当てたら逃げて行ったとか、
逆に、名前を出したらその化け物が来てしまうから言ってはいけないとか。
自分の名前を知られたら魂を抜かれる・名前を呼ばれても反応してはいけないとか、呪術に使われないよう本当の名前は隠すとか。

名前はそれだけ重要なものと考えられてきたのだろう。
古い物語というのは、昔の人の思考プロセスがわかるから面白いのだと思う。