子どもを持つことを安易に勧めないでほしい。ほかの行動と比べて、明らかに不可逆だから。
産む本人の生命身体や人生にとっても不可逆だし、人間を一人生み出すということ自体が不可逆だ。
勧める人は何も負担しない。
出産は呪術的領域に放置されている
出産だけ縄文時代みたい。特に日本は未だに無痛分娩も普及しておらず、「お腹を痛めてこそ親」みたいな呪術的感覚が残っている。
そんなに痛みに意味を持たせるなんて、通過儀礼として歯を抜いたり刺青を入れたりするみたいだ、それこそ縄文時代だ。
ならば歯医者でも麻酔を使わなければよい。痛みを感じてこそ、歯磨きの大切さがその身に刻まれるのである。
自然自然とうるさい人は、飛行機もスマホも使わず、日が沈んだら眠る生活をしてから言ってほしい。要するに黙ってほしい。
人類はかなりいびつな進化を遂げた生物だ。
二足歩行により脳が大きくなったけど、二足歩行により通過しづらい形の産道になってしまった。
頭も大きすぎて出てくるのが大変だから、大きくなりすぎないうちに生まれてくる。
難産な割に、未熟なまま生まれてくるというアンバランス。
馬みたいに生まれてすぐ歩き出したりしない。
パンダみたいに本人も気づかないくらい小さい胎児の出産なら、ここまで少子化は進んでいないと思う。
そんなに進化した大きな脳を持ってるんだから、その脳を使って対策を考えるべき。
結局女しか危険にさらされないから、呪術的な世界に放置されているのではないか。
男性が出産を勧めるのは意味不明なので、無視
英国王室のキャサリン妃が、出産直後にかっちりした服にハイヒールを履いてカメラの前に登場しているのを見て私はすごく驚いた。
まず、よく分からないけど立って歩けるもんなの?と思った。白人女性ならこれを見ても驚かないのだろうか?
交通事故、全治6か月とか言われるほどボロボロになるのは、小柄なアジア人女性だけなのか?
(そうでもないみたいだ。ハフィントンポストより。
産後7時間、ヒールで笑顔? キャサリン妃と自分を比べるママ、世界で続出 | ハフポスト LIFE)
男性が出産を勧めるのは特に違和感が強い。
陣痛どころか嘔吐の1回もせずに、自分の子を得られるって楽勝だと思う。
それで他人に三人産めとか言う。
そんな奴には本気でびっくりしたふりして言ってやろうかと思う。
「すごーい!○○さんは3人も産んだんですね!え、妻が?はっ?じゃああなたは産んでないですよね~」って。
酒井順子も書いてますよ。
自分が男だったら、妊娠も出産も痛くも痒くもないのです。(中略)
出産時の夫、という立場も味わってみたいものです。出産ドキュメント的なテレビ番組を見ていると、夫は妻の手を握り「頑張れ」と励まし、「自分には何もできない」とおろおろし、いざ産まれてきたら「よくやった!」と妻を誉め、頭をなで、一緒に泣く。というのが、定番パターン。……これって、スポーツ観戦と同じ感覚だと思うのですね。傍観しつつ火の粉はふりかかってこない立場で応援し、最後に感極まって泣く。応援するだけで自分の子供が産まれてくるなら、いくらでもやりたいっすよー。
酒井順子「少子」(2003年、講談社文庫)
※太字は引用者による
産んだ本人が勧めるならまだ、体験談として耳を傾けてもいい。それでも押し付けはやめてほしい。
欲しいと思ったことすらないのに、命を懸けるなんてできるわけがない。
義務感だけでどうにかなるものではないし、心から望んだわけではなく「そういうものだから」という謎のプレッシャーで生まれさせられる子が可哀想だ。
子ども本人の幸せは放置されている
日本における「普通の人」は今、薄給で不安定かつ長時間労働だから、結婚・出産する余裕がない。
真ん中のゾーンに位置する「普通の人」が出産しないとすると、生まれてくる子どもは二極化するのではないか。
恵まれた盤石な家庭に生まれる子と、DVの結果として生まれてくるような子。
上記は都心の話で、田舎ではまた事情が違うと思うが。
少子化対策って、基本的に子ども本人のことはまず考えてないよな。
人口が減少すると今の社会を維持できない、社会を維持するために産めよ増やせよって、この世で生きるのは楽しいから仲間を増やしたいというポジティブな動機ではない。
今いる自分たちのためであって、子ども本人のことは無視している。
家畜の数が足りなくなったから補充しようとか、奴隷が逃げたぞ連れ戻せ、的な…
食糧危機に備えて培養肉や昆虫食の研究までしていることと矛盾してないか?
極論を言えば、その子の望む教育が受けられたり、その子が働きたくない場合は最低限ベーシックインカムくらいの保障ができるくらい余裕のある人じゃないと、子供を持つのは無責任じゃないかと思う。
本人が頼んだわけでもないのに勝手にこの世に連れてきて、さぁ働けってひどいと思う。懲役50年。
犬や猫を飼うときの方が、責任を厳しく求められているのではないか。犬猫は食い扶持を稼げとは言われないし。
もっと子ども本人の幸せを重視すべきだと思う。
縮小する社会で
人口が減っていくのは分かりきっているし、カーブを緩やかにしたいんだろうけどV字回復とかないし。
自分一人生きていくので精いっぱいという人ばかりの社会で、子どもが増えるわけがない。
広げた風呂敷をたたむように、縮小していく社会をどう軟着陸させるかに知恵を絞るべきであって、
「高度成長期の夢よもう一度」とばかりに五輪やら万博やら、じいさんたちの夢に付き合ってる余裕なんかないんです。
高度成長期はたまたま訪れたボーナスステージであって、「あるべき普通の状態」ではないし、戻ってこないんです。
人間だって、年をとれば日々の生活も考え方も変わっていく。いくつになっても脂っこいものを食べて徹夜で遊ぶというのは無理がある。
もう人口は増えない、そんな衰退社会は成熟社会でもあって、そういう社会なりの姿があるはずだ。
そんな成熟社会としての姿を示せるような五輪であれば、まだ意味があったかもしれない。
例えば古い施設をうまく利用して、こういうやり方もあるんだというような。でも、全然そういう考え方じゃなかった。
個人レベルでは、やりたくないことは極力せず、背負うものは少なく、身軽に淡々と生きていく。それが自分にとっての最適解だと思える。
子どもを誕生させてしまったら、もう子どものいない生活に戻ることはできない。
そんな不可逆な変化は怖くて起こせない。他人にカジュアルに勧めていい行動ではないと思う。