生きるためのセミリタイア

当たり前を疑い、40代セミリタイアを目指す

残業前提か、家計補助か。ケア労働を無視する長時間労働―竹信三恵子「ミボージン日記」から

竹信三恵子「ミボージン日記」(岩波書店、2010年)

著者は夫婦で朝日新聞の記者をしていたが、海外旅行先で夫が急死。本書は「未亡人」ならぬ「未忘人」としての日々をつづったエッセイである。

他の著作に『家事労働ハラスメント』などもあり、労働や女性差別を専門とする著者。父を薬局を営む母に育てられた生い立ちや、記者の仕事と育児の両立に奮闘していた頃の話など、「こういう背景のある人だったんだ」という側面でも興味深い一冊。

働き方の設計の方が間違っている

母は、子どもたちが母子家庭に劣等感を持つことも警戒していたのだと思う。「ウチが貧乏だと思っているかもしれないけど、お父さんがいる家がお金があるのは、仕事の半分の家事をお母さんがやっているから。ウチは一人で両方やっているんだから、お金がなくても偉いんだ」と母は言った。「そういうお父さんはね、家事ができないからすぐに再婚してしまう。私は、そんなことしなくてもやっていける」と威張ってみせた。
この主張は、後に私が子育てと仕事の両立で疲れ果てたとき、強い味方になった。私は、「家事や育児の時間をまったく考えず、長時間労働を当たり前として設計されている今の働き方がおかしい」と思うことができ、自分を責めずにすむことができた。

(太字は引用者による。以下同じ)

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資本主義社会は生産(外でお金を稼ぐこと)と再生産(家事・育児などのケアをして労働力を再生産する)を切り離して、再生産は無償労働としてもっぱら女性に担わせることで効率的に成り立ってきた。
でも、それはもう成り立たなくなってきている。
長時間労働は、稼ぎ手が育児をしない前提であるどころか、単身者であっても、自分のケアをして体力を回復させる(明日また働けるようにする=労働力の再生産)時間やエネルギーすら残らない。そんな働かせ方だと思う。
帰ったら栄養バランスのとれた食事が出てきて、洗ってあるシャツや靴下がもうないと心配する必要もないような、「主婦がいる人」を前提とした設計。
その設計の方がおかしいのだ。

 

正社員として長時間労働するか、男性の稼ぎを前提とした賃金設定=家計補助か

女性の平均賃金が低すぎるうえに低福祉で、男性がいなければ多くの女性は食べていけない仕組みを私たちは生きている。「男がいなければ食べていけない」社会を、私たちは「男がいれば幸せになれる」と、すりかえてきたのではないだろうか。

男性の稼ぎに頼らなければ生きていけない仕組みの中で、DVなどがあっても生活のため離婚できない…ということも起こる。

そもそも、ひとり親家庭の生きづらさとは、どこからくるのか。自分の体験からじわじわと考え続けてきた私は、「女の人は、男の人からお金をもらいなさい」という社会システムに思い至った。
戦前の富国強兵政策を引き継いで、戦争に負けた後も、日本社会は男を「会社」という戦場に送り込んだ。家族が食べていける賃金を稼げといわれている男性に、戦線離脱はできない。離脱すれば、「女房子どもを路頭に迷わせる」ことになるからだ。女房子どもはいってみれば人質のような役割を果たすわけだが、戦地から送られる賃金がないと生きていけないので、これを支えようと「銃後」で懸命に無償の育児や介護にまい進する。この働きで、福祉にかけるお金は最大限切り詰められ、日本の社会保障費の大GDP比率は、先進国では米国に次ぐ低さとなっている。
切り詰めたお金を企業の振興に使って企業の利益が大きくなれば、増えた分の一部が男性たちに配分され、「戦地」からの仕送りは増える。だから、人質たちは我慢する。これが高度経済成長だった。
(略)
「おカネがほしければ男の人からもらいなさい」ということで、女が自力で食べられるだけのお金を稼ぐ道は狭まる。ひとり親家庭の困難はここにある。子どもがいるから世帯賃金は必要なのに、女性の賃金は、「男をつかまえないとやっていけない水準」でよしとされているからだ。世帯賃金がもらえるような正社員職場は、主婦の働きを前提に、カネを稼ぐことだけに二四時間を使う戦地だ。子育てと仕事を両方できるような働き方は甘いなどという言葉が、大手を振ってまかりとおるので、ひとり親の母たちは、ここに入っていくのも難しい。
実は、事態は男性にとっても同じだ。八〇年代、離婚してひとり親となった男性から、「子育てと両立したいと残業のない職場を探して回ったが、すべて断られた」という話を聞いたことがある。残業ができないと話すと、技術があってもだめだったという。

おおざっぱに言えば、働き方は残業前提(過労死)とパート(家計補助)の二択になってしまっているのではないか。
無制限に仕事に関わるか、誰か(多くは夫)の稼ぎを前提に限定的に関わるか。後者の給料では子どもを養うのは難しく、シングルマザーの貧困に直結する。

非正規雇用の賃金の低さも結局、夫や父親に養われていて、家計補助や小遣い稼ぎとして働いている人だというという前提があるからだと思う。
「主婦のパート」じゃなく非正規雇用男性が出てきてやっと問題視されたのではないか。

家事・育児・介護といったケアを担っていない人を前提とした働かせ方、ケアレスマンモデルはいい加減終わりにしてもらいたい。