生きるためのセミリタイア

当たり前を疑い、40代セミリタイアを目指す

ハリエット・タブマン―「モーゼ」と呼ばれた黒人女性」

上杉忍 「ハリエット・タブマン―「モーゼ」と呼ばれた黒人女性」(新曜社) 

 

栗原康「サボる哲学 労働の未来から逃散せよ」(NHK出版新書) で紹介されていたので読んでみた。

アメリカ南部に奴隷として生まれ育った黒人女性で、家族と引き離されて売られることがわかり北部へと逃げる。自分が逃げた後は家族やほかの人を逃がし、「黒いモーゼ」と呼ばれるようになる。貧しい人、高齢者向けのホームなども作った。
そんな人物がいたことを、これまで知らなかった。

彼女にそんなことが可能だったのは、女性の奴隷は家内労働に従事することが多かった中、彼女は機織りなどを覚えようとせず、外での肉体労働を選んだ。父のもとで木の伐採・運送などを行い、外での移動を伴う労働を通して地形や地域の情報を得たし、家政婦などと比べて奴隷主の監視から離れられる時間も長かった。
そういった知力と体力があったから成し遂げられたのだろう。

現代にも通じるような「批判」が印象に残ったので引用したい。

黒人エリートからの批判とその非現実性

このような社会の趨勢のもとで、黒人エリートはタブマンの取り組みに対して、概して冷淡だった。例えば大森一輝によれば、ハーヴァード法科大学院を卒業した黒人エリートの代表的存在だったアーチボルト・ヘンリー・グリムケ(1849-1930年)は、サウス・キャロライナ州の奴隷主を父とする奴隷として生まれたが、才能と機会に恵まれて、高度な教育を受けることができた。彼は、ボストンで弁護士になり、適者生存が社会発展のための基本原則だと確信するようになっていた。個人としての自助努力を重視し、人種としての結束を「自己隔離」として否定し、黒人に対する特別な配慮は害あって益なしだと主張した。その典型が当時始まっていたハリエット・タブマン・ホームであり、彼はタブマンの取り組みを厳しく批判していた。彼の意見は黒人エリートの間ではむしろ多数派を占める意見だった。最底辺の黒人大衆とは無縁な「自由競争万能論」の世界に生きていたグリムケらの黒人エリートは、最底辺の黒人やハンディキャップを負った白人とともに生きてきたタブマンとは対極の世界に暮らしていた人々だった。

 (※太字は引用者)

 

こういう言説は現代にもあって、困窮している人は努力しておらず怠惰だからだ、というものだ。
なまじ自分が這い上がれた人の方が厄介で、「自分はできたのだから」となってしまう。でも貧困と暴力の中で教育なんて受けられず、気力も奪い取られたまま目の前のことに対処するだけで精一杯、健康状態も悪い、というのが現実だろう。
確かに立派だけどそれだって運が必要なんだ、努力する土俵にすら立てない人が多いんだ、というのはネオリベ的意見に対して言いつづけていきたい反論である。