喫煙は「緩慢な自殺」といわれるが、歩きスマホもそうなのでは?と思っている。
対向者も同じく歩きスマホしてるという発想はないのだろうか。
他人を信用しすぎじゃないのか?
信号待ちでもスマホを見ていて、スマホから目を離さず周りの人が動き出したから進むみたいな人が多いけど、日本人っぽいな、羊の群れみたいだなと思う。
青になったからと渡り始めると、どちらの信号も守らない自転車が突っ込んでくることがあるし、だいぶ危ないと思うのだが。
自分から飛び込む気はないが車が突っ込んできてもいいや…くらいのことを実は考えているのか。
そんなに投げやりとか絶望している人のようには見えないのだが。見かけからは分からない。
駅で歩きながら、イヤホンして両手でスマホを持って動画か何かを見ている。
視覚、聴覚、両手をふさいだ上で歩くなんて、怖くないのだろうか。ホームドアがない時代には戻れなさそうだ。
自分の運動神経すら信用していない私としては、その状態で転んだら前歯とかを失いそうだなと思ってしまう。
煩わしい周囲を遮断して自分の世界に入り込みたいといった感覚も、わからなくはないのだが。
その視覚、聴覚、両手ふさぎを夜道でやっている若い女性とかも見かけることがある。
上記に加え歩きにくそうな靴で、帰りたくないのかな?みたいなスピードで、
徒歩でもひったくりができそうだったりする。心配だ。
歩きスマホしている人は、何も起きないと思っているのだろうか。
そんなに世界を信頼しているなら羨ましいが、実は「できれば車にひかれたら楽になるのに…」とかうっすら考えているのかもしれない。と思うと、少し怖くなる。