「ふつう」とか、他人の目を気にしていたらセミリタイアどころではない。
・「ふつう」という基準に意味はない
周りが残業していてもとっとと帰るとか、会食を断るとか、
それくらいできなければなかなか目標には近づけない。
セミリタイア自体「ふつう」じゃないのだから。
結婚、子ども、マイホーム、車。
何歳ならこれが当たり前。
ふつうはこれくらいのものを持ち、これくらいのお金をつかっている…
そんな基準は何の意味も持たない。
老後はこれくらいのお金が必要と言われたって、そんなもの人によって大きく差があるから、自分の生活で計算しないと意味がない。
「ふつう」は統計上の平均値や中央値とも乖離していると思う。
いまや非正規だってふつうだ。
東京郊外の新築の家に大きな車、専業主婦と子ども2人…そっちの方がむしろふつうではない。
あくまでその人にとっての「ふつう」があるにすぎない。
・他人の目はどうでもいい
仕事ができない奴、ノリの悪い奴として白眼視されようと、
気にしない面の皮の厚さが必要だ。
他人の目を気にすることとセミリタイアという生き方は相容れない。
嫌われないための努力は、するのであればずっと継続しなければいけない。途中で降りられない。
緩めた途端に効果がなくなってしまうからだ。
それなら最初から気にしない方がいいのではないか。