生きるためのセミリタイア

当たり前を疑い、40代セミリタイアを目指す

「浪費するアメリカ人」―ステータス消費と過剰な労働【前編】

過去の記事に書いた「じゅうぶん豊かで、 貧しい社会」の中で引用されていて興味を持った本。日本での刊行は2000年。 

 過去の記事はこちら。

fluffysamoyed.com

 

本書では、アメリカ人(主に中流階級)は働きすぎ・消費しすぎであるという研究結果のほか、減速生活者(ダウンシフター)の登場も紹介されている。

 

1.ステータス消費

化粧品とステータス

私たちのテストは、数十億ドルのビジネスである女性用化粧品から始めた。この産業は、容貌、錯覚、ステータスの機能に魅力的な表情を与える。化粧品会社は、いろいろな意味で、19世紀の怪しげな水薬売りとほとんど変わらない。
(略)
しかし、その効果がはっきりしなくても、女性は買いつづける。彼女たちは、何百回、何千回でも、リンクルクリーム、化粧水、アイシャドウやおしろい、口紅や化粧品に金を払う。それはなぜか。彼女たちは、高価なデパートで買うスリル、美しさと性的魅力のファンタジーにふけり、「ビンの中の希望」を買う、といった手の届く贅沢を求めているというのが一つの説明である。化粧品は、それ以外には全く味気ない日常生活からの逃避である。

※強調は引用者による。以下同じ。

 本書では、口紅は価格による品質の差がないこと、そして洗顔クリームのような自宅でしか使わないものに比べ、口紅のような人前でも使うものでは上位のブランド品を買う傾向が強いという研究結果が紹介されている。

これは日本で言うと、クレンジングはちふれだけど口紅はシャネルで、その逆の人はあまりいない…みたいな感じだろうか。LIPSとか見てると10代で普通にYSLのリップアイテムを使ってたりしてびっくりする。自分が高校生の頃はマジョマジョを買うのもおっかなびっくりだったのだが。。

化粧品、特に色ものは買いすぎがちなアイテムだと思う。以前にも書いたが、これを使えば一気にきれいになれる、毎日が輝きだすかのような妄想にとらわれやすい(=ビンの中の希望)のが化粧品という商品だと思っている。また、口紅でいうとブランドものでも4000円とかなので(十分高いけど…)、バッグなどに比べれば随分手ごろに見えるということもあるだろう(=手の届く贅沢)。

 

不安と消費

他の研究は不安感などの心理的な特徴に焦点を当てている。ピーター・ゴルヴィッツァーとロバート・ウィックルンドは、成績が悪く就職の見込みも少ない経営学専攻の学生は、高価なブリーフケースやペンや腕時計を買う傾向が強いことを発見した。

高級品を身に着けたからって「できるビジネスマン」になれるわけではないのだが、なんだか切ない研究結果だ。

消費とアイデンティティ

個人がステータスグッズを追求する可能性は、ただちにアイデンティティの問題を、そして、あなたが消費するモノとあなたが誰であるかとの関連を提起する。個々人の人格的特徴を消費者の選択と結び付けようとする試みは、市場調査において、かつて好んで使われていた。どんな種類の女性が普通に挽いたコーヒーよりもインスタントコーヒーを好んで買うか、誰がシボレーではなくてフォードを運転するか、マルボロを吸う男はどんな種類の男かを解釈するために膨大な努力が注がれてきた。
消費財は、自己を表現し、社会的人格(ペルソナ)を創りだす機会を人々に提供すると、いまでは広く信じられている。(略)「我買う、ゆえに我あり」。

上の化粧品の例でいうと、私はシャネルよりTHREEが好き、とか、エシカルでサスティナブルなブランドを選んでる、とかそんな感じだろうか。もちろん本人が満足していればそれでいいのだが。

それを選ぶことで自己を表現し、自分が差別化され形作られるのだという発想。でも、結局は画一的な大量生産品である。


準拠集団と「隣の億万長者」

これで私たちは、なぜ「隣の億万長者」が大半のアメリカ人とは対照的に貯蓄できるのかを理解することができる。彼らはけっして自分の準拠集団を変更しようとはしない。
(略)
どうやら教育程度が高いほど、ステータス志向が強く、自己顕示や地位のための消費に走りやすく、さらにあこがれの対象で自分が属したいと思うような上位の準拠集団についていこうと熱中するようだ。

本書によると、大卒・大学院卒の高い教育を受けた女性ほど浪費する傾向があるらしい。特に、準拠集団(隣近所とか職場とか)と比べて自分は少し貧しいと感じている人ほど、消費が多く貯蓄率が下がる。高学歴の人は職場でもっと高収入の人(上司、経営幹部)と接するので、ステータス志向が強くなるのではということだった。

「隣の億万長者」は日本でもよく読まれているが、稼いでも生活水準を上げないことが共通点だった。

日本でいうとこんな感じだろうか。勉強の得意な田舎出身者が東京の大学に入り、高収入の職を得たとする。地元の友達と仲良くし続けて、以前の感覚を失わなければ、かなりの資産ができる。

他方で、港区出身の同級生やら、実家が青山にビルを持っているという同僚やら、地元に残っていたら一生出会わなかったような人たちと自分も同じだと勘違いしたり、ついていこうとしたりすると、高収入であっても大変なことになる…

 


2.テレビと広告

テレビの影響

私の調査結果は、テレビを見れば見るほど支出が増加するということを示している。テレビと支出の関係については、テレビを見ると普通だと考えられるものの基準が引き上げられると説明できるだろう。テレビのスクリーンに描き出される生活スタイルは、平均的なアメリカ人のそれとはまったくかけ離れたものなのである。多少の例外を除けば、テレビの登場人物は中流階級の上層か、金持ちでさえある。
消費研究家のトーマス・オグインとL・J・シュラムによる研究は、この上昇傾向を確認している。テレビの視聴時間が長い人ほど、アメリカの家にはテニスコートや自家用機、オープンカー、自動車電話、プールがあり、使用人もいるものだと思う人が多い。

日本でアメリカのドラマを見てると「へ~、アメリカの家ってこんなに広くてプールまであるんだ~」と思いがちだが、アメリカ国内でもそうらしい。


広告の欺瞞

三日月形のマークがビューンと走り去る前に、ナイキは女性のパワー、自立、かっこよさを象徴していると私たちに信じさせたいのだが、本当に役に立っているのかどうか考えてみよう。ナイキは一日200万ドルを使って、女性にスポーツを奨励しているというが、ベトナムの女性労働者に支払う日給1.6ドルを考えれば、ごまかしではないのか。

時給どころか日給が1.6ドル…!

人種差別、性差別に反対する姿勢を打ち出しているブランドでも、他国の工場で低賃金労働(そして児童労働も)を強いていないのだろうか… 最近はちゃんとしているのだろうか…??

 

長くなったので後編に続く。