「プライド」というものは、仕事と絡めて語られることが多い。
「自分の仕事にプライドを持て」「○○としてのプライド」、やる気がなさそうな労働者に対しては「プライドはないのか」など。
プライドとは誇り、自尊心と訳される。
しかし、労働は自尊心を削ってくることも多い。労働者はプライドなんてあまり要らないというか、あるとかえってしんどい気もする。仕事と自己実現が結びついている人はそれでいいと思うし、羨ましいのだが。
「相手のプライドを傷つけないように、こういう言い方にしましょう」といった他者のプライドに配慮する文言もよく見かける。
そこで疑問に思うのは、プライドってそんなに傷つくか?ということである。
なんかテーブルの端っこみたいなグラグラのところに置いてあるのだろうか?
大事で傷つけたくないものなら、そんなところに置いておいてはいけない。
もちろんあえて傷つけようなんて思わないし、配慮するのだが。
プライドはあるけど、そんなところにはないだけ。
私のプライドは、赤の他人の手の届くところには置いてない。だから他人の言葉でプライドが傷つくことはあんまりない。
プライドと他人って本来関係ないものなのでは、と思う。