「半島を出よ」村上龍(幻冬舎、2005年)
読んだきっかけ
経済が崩壊し、国際社会でも存在感を失った日本において、北朝鮮の特殊部隊が開幕戦でにぎわう福岡ドーム(今はPayPayドームか)に乗り込み、さらには福岡市中心部を占拠するという話。
豊﨑由美の書評での煽りっぷりに興味を持って、読んでみた。
全国のプレジデントな皆さん、危機管理できてますか?(略)村上龍の上下巻併せて1000ページ弱にも及ぶ大長篇小説『半島を出よ』くらい、プレジデントな皆さんが読まなきゃならない本はありません。『頭がいい人、悪い人の話し方』なんて頭の悪い本を読む時間があったら、これ読んどけ、そーゆーことなんであります。
出典:豊﨑由美「そんなに読んで、どうするの?」(アスペクト、2005年)
「 プレジデントな皆さん」という言葉が最高。
「半島を出よ」とコロナ禍の共通点
福岡の新聞記者、霞が関の政府職員、特殊部隊メンバー、社会から孤立した少年など語り手を変えながら進行される。
日本政府のグダグダっぷりがリアルなこの小説、コロナ禍どころか東日本大震災よりも前に書かれたものだということに驚く。今の状況はこれだ!と思ったのは次の部分。
誰かが提案して、決定権と責任の所在が曖昧なまま、すでに意味を失っている計画が実行に移される。
(略)
前々から決めていたから変更はできないと、ただそれだけの理由で(略)を決めたのだ。出典:村上龍「半島を出よ」(幻冬舎、2005年)
すでに意味を失っている計画、実行に移されまくってますよね。。
霞が関の庁舎では電話が鳴りっぱなしで、法的根拠づけに奔走したりなんかバタバタ頑張ってる風なんだけど、大きく問題全体を捉えることなく、自分たちで勝手に作った狭い範囲の問題だけに意識を集中し、それさえなんとかしたら全体が解決できると信じ込もうとしている。
本質はそんなところにはないのに、問題を根底から絶とうとせずに枝葉の部分だけで満足しているような感じ。
ここ1年の流れと重なる感覚があった。
続きが気になってしかたなく、上下巻というボリュームも多いと感じさせないさすがの作品だった。
特に、行き場のない少年たち(特殊能力あり)のパートが好きだ。
巻末にリストアップされた参考文献の量がものすごく、大抵の学術書より多いくらいだった。銃の名称などがたくさん出てくるので、こういう分野はマニアがいるから詰めが甘ければいろいろ言われるんだろう、大変だなと思った。
私が違和感を覚えた箇所は、ストッキングを初めて履いた人物が「薄いのに驚くほど暖かかった」という感想を持っていたところ。
タイツならともかくストッキングは全然暖かくないよ!と読みながらつっこんだ。まぁ、それくらいしかないのだ。
危機管理
冒頭で紹介した書評にあった「危機管理」だが、この本を読んだ後は、危険を察知して早めに逃げる能力を鍛えたいと思った。作品に登場する日本人の鈍さ、正常性バイアスっぷりには愕然とさせられる。
スポーツ経験すらろくにない私の場合、攻撃してくる相手とまともに向かい合ったら助かる見込みがない。だからそもそもそういう状況に追い込まれない・すぐ離れるという逃げ足の速さを身に着けておく必要がある。
駅などでスマホを凝視しつつ耳にはイヤホンで歩いている人をよく見かけるけど、視覚と聴覚に加え手もふさがっていて、自分の安全を他人任せにしすぎでは?と驚く。
そういうことをせずに、動きやすい服装で周囲に注意を払い、何か違和感があったらその場から離れる。
例えば、建物内で煙が出ているのに周りの人達が「どうせボヤだし大したことない」と仕事を続けていたとしても、そこにとどまらず自分だけでも逃げ出す。
こういう感覚を持ち続けることが個人レベルの危機管理だと思う。
2回目の緊急事態宣言が出て寒さも厳しい今の時期、自宅で時間を忘れて没頭したい作品。