生きるためのセミリタイア

当たり前を疑い、40代セミリタイアを目指す

人生相談の共通点

新聞の人生相談コーナーなど読んでいると、ある程度高収入で、結婚して子どもがいて、マイホームがあって…とか、そういう外形が整っていれば自動的に幸せ家族がついてくる・勝手にできあがる、と思っている人が多くて、それが家族の悩み事のもとなのではないか?と思った。

特に働き手の男性に多そうだけど、主婦の女性などにもかなり多い気がする。きちんとした手料理とか、インテリアとか、子どもを習い事に通わせるとか、そういう幸せに見える外見というか手段のようなもの。

マイホームとかは外側のいわば舞台装置でしかなくて、その中の家族が幸せかどうか、いい関係が作れるかは、不断の努力にかかっているのではないか。

毎日のコミュニケーション、話し合いや気遣いなど、正直めんどくさいことを継続して、やっと到達できるものなのだと思う。

そういうめんどくさいことをせずに、例えば仕事だけ頑張っていると、気づけば子どもが父親と口を利かないとか、熟年離婚とか、そういうことになるのではないか。

家とか車とか、そういう「ガワ」だけあったってしかたなくて、中身は自分たちで日々作り上げていくしかない

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そしてそれがめんどくさすぎるのが分かっているから結婚しない、という人も多いのだろうと思う。

私自身、コミュニケーションをサボりがちな人間なのでそんな感じだ。全般的に手っ取り早いことが好きだと自覚している。

大人になってからも親と旅行に行く人や、子どもが独立した後などに夫婦で旅行する人などが眩しすぎる。 そういう関係性はほっといて出来上がるものではないし、後から急に作ることもできないから。

成長しないとダメなのか

あまりに忙しくストレス過多で、睡眠や食事も満足にとれない時期が続き、心身の調子を崩していた。

休みながら思ったのは、ただ眠り、食べたいものを作って食べる、それだけでかなり満たされるということと、
スーパーで買い物して料理したり、掃除・洗濯するだけで結構な時間がかかり、そんなに暇ではないということ。

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通院などでイレギュラーな出費は生じたが、コンビニに頼る必要のない、ストレスの少ない生活をしていれば、基本的な生活費というのはそこまで高くない。
つまり、そんなになるまで働かなくったって生きていける。

何のために働くのか。
私の場合は、生きていくのに必要なお金を稼ぐため。
寝食すら脅かされるような仕事は、本末転倒だ。

世の中の役に立つためとか、自分の成長のためとか、立派なことを言う人も多いけれど、それはもっと上の段階というか、
食事をとらない(か、画面を見ながらパンとかを流し込む)のが当たり前みたいな異常な環境では、
成長もへったくれもないし、成長どころか自分が削り取られて小さくなっていくだけだと思う。
そんな「成長」だったら私は要らない。

耐えられる労働は週に2日くらいまで

働く日の方が少ない状態にしたい。
7分の5、週の約71%が労働の日で、しかもその日は労働とその準備(最低限の睡眠・食事と身支度とか)しかできていない。
ひどい時は休日も侵食される。

これは異常なことだ。
肉食動物だってそんな四六時中狩りをしてないだろう。基本ダラダラしてるし寝てる。
そんな頻度で緊張状態を続けていたら狩りだって成功しないだろう。

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労働は週に2日、譲っても3日ぐらいにとどめたい。
40歳セミリタイアを目指していたが、それすら遠すぎる。35歳にできないか。。
それを可能とするために家賃の安い(管理費込みで3万円以内)物件を探す日々である。どの地域が隠居に適しているのか…

欲しいものではなく必要なものだけを買う。
できない時もあるが、毎日確かめなおしている。

見るから欲しくなるのだ

本は、何かを買わせようとしてくることがほとんどないからいい。
ネットは買わせる情報ばっかりだ。
魅力的な新商品、きれいな写真…
インスタの広告の精度は高すぎる。ぴったりのサブスクとか提案してくる。

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見なければ、知らなければ、欲しくなることもない。我慢は必要ない。

ただ見てるだけのつもりでも、時々は欲しいものが出てきてしまう。相手はプロだ。
余計な情報を入れない。

 

あるものを使い切る。使い倒す。
まだまだ私の家には使えるもの、食べられるものがある。籠城できそうなくらいだ。

余分に働いてまで欲しいものなんて私にはないだろう、と言い聞かせる。
あるもので工夫する。
どうしても必要に迫られたときだけ、買いに行く。
働くよりずっといい…

頑張れない、と主張していこう

先日歩いていたら、父親に連れられた2~3歳くらいの男の子が大泣きしていた。
何かの言葉を必死に繰り返している様子だったのでよく聞いてみたら、
「がんばれないよ~!!」
と叫んでいた。連呼していた。

おそらく、家に帰るのにもう歩きたくなくて抱っこしてもらいたいんだけど、父親に「頑張って歩いて」と言われて、もう歩けない…と泣いて訴えてるのだと推測した。

私はつい、その子に共感してしまった。
「うん、もうがんばれないよね…無理だよね…」と、最近疲れのせいか涙もろくなっているので、路上でちょっと泣きそうになった。

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そして、大人だってもっとこの主張をしていくべきだと思った。
無茶な仕事が降ってきたら、チーム全員で
「がんばれないよ~!!」
と言っていけば…

消費税上げるとか言われたら、社会の99%で
「もう、がんばれないよ~!!」
と言っていけば…

もう十分頑張ってきた。これ以上は無理だ。
我慢して無理矢理なんとか合わせてたら、まだいけると思われてもっとひどい目に遭う。
だからもう頑張れないんだということを伝えていかなければならない。

週休二日では足りない

残業まみれで5日も連続で働いて2日の休み程度では、マイナスをギリギリ0まで戻す程度の効果しかない。

プラスで何か楽しいことをするというところまでたどり着けない。

とにかく寝て体を休めて、たまった家事や用事をしたらほぼ終わり。

なんでこんな働き方が当たり前、むしろ恵まれているということになってしまっているのだろうか?

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生きてるだけで尊いよ

せめて水曜も休みにして週休三日なら、最長で「明日行けば休み」という状態がキープされ心身ともに楽になると思う。

5連勤って相当な負担だと思うのだが、なんで当たり前になっているのか。

ものすごく窮屈な思い込みにとらわれているだけかもしれない

世界は広いし、日本だってそこそこ広いし、色んな生き方があって、大勢の人がそれぞれの生き方をしている。

電車の窓から見ただけでもものすごい数の住宅があって、空き家もあるだろうけど、それだけそこに住んでいる人もいて、田舎にも都会にもたくさんの町がある。

そんなたくさんの人生に思いを馳せると、自分がなんでこんなに窮屈な生き方をしているのかわからなくなる。

思い込みで、自分で自分を閉じ込めているだけかもしれない。

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一人生きていくだけのお金であればそんなにたくさんはかからないし、大都市にいなくてはいけないわけでもない。

知らず知らずのうちに自分自身を縛っていたのかもしれないな、と車窓を眺めながら思う。