生きるためのセミリタイア

当たり前を疑い、40代セミリタイアを目指す

残業代に手を付けてはいけない理由

残業代には手をつけない。
睡眠や健康を犠牲にし、文字通り命を削って得たお金だからだ。

また、そのお金の裏には、

  • コンビニで夕食を買った
  • 肩こりが限界でマッサージに行った

とか、経費も実は結構かかっている。

だから「頑張って稼いだんだし、これくらい贅沢してもいいよね」と使ってしまうのではなく、投資に回す。振り込まれたらさっさと証券口座に移して、「お金ある感」をなくす。目の前から隠して、なかったことにする。

頑張って稼いだからこそ、簡単には使わない。

そのお金でどれくらいの期間生活できるかを考える。

本当に買いたいものは「自由」なのだ。それを忘れてはいけない。

193の心理研究でわかったお金に支配されない13の真実

 

DaiGoが絶賛しているから読んだわけではなく、お金と心理の関係には前から興味がある。

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  • カードと衝動買い

人はクレジットカードやデビットカードで支払う時、ケーキやチョコレートといった健康的でない食品を衝動買いしやすくなる。やめられない楽しみにふける性癖は「現物」を手渡さなくてもいい時に旺盛になるらしい。

カードを使ったネット通販でポテトチップスを5袋もまとめ買いしたことのある私には、耳の痛い話だ。

  • うまく買い物をするには

何かを買いに店に入って選択肢が3つあるとき、高い方の値段を見て中間を選ぶのは間違い。
また、自分が欲しい物よりサイズが大きくて洒落た品があっても見なかったことにするか、買う前に自宅にそれを置いたところを想像してみることだ。

これはお金の本によく出てくる、「AランチBランチ」、松竹梅みたいなものだ。
高い方のランチを売りたければ、もっと高いランチ(松)を作って、もともとあった高い方を「竹」にすればよく売れるようになる。

後者について著者の経験した例はスーツケースで、欲しいサイズは決まっていたのに、店で見ると小さく感じたのでサイズを上げ、予定より高い金額を支払った。帰ったら大きすぎることに気づいた、というもの。

  • 相対思考、アンカリング効果

割引がパーセントで表示されている時は、ちゃんと計算して金額を把握する。決して相対思考にだまされてはいけない。

割引の表示を見ると判断が狂うとのこと。

アンカリング効果についてもお金の本ではよく出てくるが(元値が高いものが割引されてるとお得と感じるなど)、単位とかも異なる数値であっても判断に影響が出るらしい。
アンカー数値がいかに思考をゆがめるかの例が面白かったので紹介する。

ある古典的な実験から一組の質問を紹介したい。

ガンジーは亡くなった時、140歳より上だったか下だったか?
ガンジーは何歳で亡くなったか?

もう一組。

ガンジーは亡くなった時、9歳より上だったか?
ガンジーは何歳で亡くなったか?

どうみても最初の質問には意味がない。(略)だが先にこの質問をされると、次の質問に対する答えの平均は67歳になる。
一方、ガンジーは亡くなった時、9歳より上だったかどうかと先に聞かれると、亡くなった年齢の回答の平均は50歳まで下がる。

こんなに引きずられるのか、と驚きの結果だ。

 

 

  • 自己責任論と「公正世界信念」

1994~2010年の間に、貧乏なのは本人が怠惰で意志が弱いせいであると考える人の比率が15パーセントから23パーセントに上昇し、システムが不平等なせいと答える人の比率は29パーセントから21パーセントに低下した。
(略)
貧しいのを本人のせいにする人がいる理由の一つは、この人たちがいわゆる「公正世界信念」の信者だからだ。ここでは世界は全体に公正な場所であり、人間は概ね行いに見合ったものを手に入れると説く。世界をこう見ることで安心できる人もおり、人生をコントロールしている感覚を持ちやすくなる。

  • 貧すれば鈍する

お金の心配がある人は脳内の「帯域幅」が狭くなって他の物事に集中しにくくなる。(略)ムッライナタンの研究によると、欠乏が思考に及ぼす打撃は、徹夜効果の80パーセントに相当する。

徹夜はかなり思考力を奪うので、その8割とは相当だ。

  • お金を貯めるには

人生を直線状に延びるものではなく、循環するものととらえる考え方をお勧めする。(略)人間はそうそう変わるものではない。だからもしあなたが貯金が苦手なら、私からのアドバイスはこうだ。あなたの来年の行動は今年と同じパターンをたどる可能性が高いことを理解するといい。今できないことが将来できるかどうか、現実的に見極めることだ。

循環型思考のグループの実際の貯金額は別グループより80パーセント多かったという。
要するに将来の自分に期待しすぎず、「来年はもっと貯金できるだろう」ではなくて、来年も自分は変わらないから今ちゃんとやっておこうということだろう。

歩きスマホは「緩慢な自殺」かもしれない

喫煙は「緩慢な自殺」といわれるが、歩きスマホもそうなのでは?と思っている。

対向者も同じく歩きスマホしてるという発想はないのだろうか。
他人を信用しすぎじゃないのか?

信号待ちでもスマホを見ていて、スマホから目を離さず周りの人が動き出したから進むみたいな人が多いけど、日本人っぽいな、羊の群れみたいだなと思う。

青になったからと渡り始めると、どちらの信号も守らない自転車が突っ込んでくることがあるし、だいぶ危ないと思うのだが。

自分から飛び込む気はないが車が突っ込んできてもいいや…くらいのことを実は考えているのか。
そんなに投げやりとか絶望している人のようには見えないのだが。見かけからは分からない。

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駅で歩きながら、イヤホンして両手でスマホを持って動画か何かを見ている。
視覚、聴覚、両手をふさいだ上で歩くなんて、怖くないのだろうか。ホームドアがない時代には戻れなさそうだ。
自分の運動神経すら信用していない私としては、その状態で転んだら前歯とかを失いそうだなと思ってしまう。
煩わしい周囲を遮断して自分の世界に入り込みたいといった感覚も、わからなくはないのだが。

その視覚、聴覚、両手ふさぎを夜道でやっている若い女性とかも見かけることがある。
上記に加え歩きにくそうな靴で、帰りたくないのかな?みたいなスピードで、
徒歩でもひったくりができそうだったりする。心配だ。

歩きスマホしている人は、何も起きないと思っているのだろうか。
そんなに世界を信頼しているなら羨ましいが、実は「できれば車にひかれたら楽になるのに…」とかうっすら考えているのかもしれない。と思うと、少し怖くなる。

疲れた日本人とキャラクター

最近のキャラクターを見ていると、日本人疲れてるな~という感じがする。

コウペンちゃん、ちいかわ、ばいばいべあ、だっとちゃん。

「がんばってるね、えら~い、よしよし」系とか、労働してたりする系だ(ちいかわ:草むしりや討伐、涙を浮かべながら頑張っている。だっとちゃん:弱いのに、強制されたヒーロー活動を頑張っている…)。

サンリオのこぎみゅんもかわいいけど、今の若者っぽいというか、先輩を尊敬していて謙虚ないい子という、とにかく嫌われないような性格に作ってある感がある。

特によしよし系を見ていると、かわいいキャラクターをよしよしするだけでは足りず、キャラクターによしよしされないとやっていけないくらい疲れているのだろうか、と考えさせられる。

また、労働を強いられてる系は、はなっから大人を対象としている気がする。

キャラクターグッズが子供だけのものでなくなって久しい。大人がキャラクターグッズを使っていても別に奇異の目では見られない(特に小物の場合)。

ただかわいいから、かわいいものが好きだからと言ってしまえばそれまでだし、私も好きなのだが、時代の変遷が見えるような気もする。

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何年も前、消費者金融のCMでチワワが人気になって、癒しという言葉も流行って、日本人はこんな小さな犬に癒されないとやっていけないのか?という言説も当時見かけた記憶がある。

その頃よりさらに衰退している日本。疲弊した人たち。日本のキャラクター文化とのんきに言っているだけでは足りない気がしている。

買うのは簡単、お金を使うのは簡単

「自由」という大きな買い物をするために、他のことにポロポロお金を使っている場合ではない。疲労によりマッサージやらアロマやら…色々買ってしまいそうになるのだが。

モノを買うのは簡単だ。

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筋トレするよりスムージーを買う、大人の女になりたいから新しい香水を買ってみる、とかもそうだし、努力して魅力的な人物になる(内面も含め)より、アイシャドウやワンピースを買う方が簡単。パッと気分も変わる。

でも結局紛らわしてるだけだから、そこまで効果ないし気分も元通り。その時は楽しくても長続きはしない。実は現実逃避だ。

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でも何かやってるような気になってしまう。下手すると、「自分磨き」「努力」と勘違いしてしまうことすらある。

どうせならそんなふうにごまかさずに、欲しいから買う、買い物が楽しいから買う、と自覚して買う方がまだいいんじゃないか。

実は手軽にできる娯楽を手に入れているだけなのに、「自分は頑張っている」「こんなに色々やってるのに」と勘違いしたまま進んでしまうのはちょっと恐ろしい。

 

やりたくないことはやりたくない

「やりたいこと」なんてそんな都合のいい形であるわけない。社会的に認められて仕事になる時点で、かなり刈り込まれている。

正直、本当にやりたいのはマンガ読んでゴロゴロしてアイス食べてたい…という人も多いのではないか。それでお金は稼げないというだけで。

世のため人のために働きたい、誰かの役に立ちたい、という人もいるのかもしれないが、感情労働とやりがい搾取でつぶされることも多い。

 

面接で話すストーリーだって、そんなちょうどいいエピソードいちいちあるわけない。フィクションだ。

面接の話は過去にも書いているが、学生時代からずっとそんな一本道というか、紆余曲折あってもすべてはここにたどり着くためでした!なんてこと、そうそうないだろう。

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好きを仕事にとか本気で言ってたらマンガ、演劇とか音楽関係者だらけじゃないのか。
やりたいことがあるというより、ただただ、やりたくないことをやりたくない。

ポテトチップスという自傷行為

胃が弱くなってからというもの、揚げ物は避けている。かつて好きだったポテトチップスも当然避ける対象で、普段は食べない。

でも、疲れてストレスがたまると食べたくなる。

よりによって深夜に、しかもストレスで辛いものを欲しがちになりカラムーチョ…あるいは噛み応えを求めて堅あげポテト…
深夜のコンビニで、迷った2種類を絞りきれず両方買ってしまう。

一晩で一気に食べずに何度かに分けるが、それでも翌朝胃もたれで気分が悪くなるのはわかっている。しかしやってしまう。
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残業まみれで食事の内容やタイミングも思い通りにならない中で、限られた自由をこんな形で発揮させてしまう。

気休め程度に消化酵素サプリを飲む。
毎日せっせと飲んでいるビタミンや抗酸化のサプリ、疲れてても欠かさず塗っている化粧水や美容液。これらがあるから大丈夫なのではと甘い期待を抱きつつ、せっかくの手間と費用を無駄にしていると思う。

過食というほどの量ではないし、下剤でなく消化酵素を飲むだけなので摂食障害とはいえないだろうが、二歩、三歩手前くらいかもしれない。
胃もたれで気分が悪くなること、日頃の努力が無意味になること。ほんのうっすらとだが、自傷行為に近いものがある気がする。

ミスドなども一つならいいとしても、限定品を欲張って二つ以上になると、若干自傷に近い雰囲気を帯びてくる。

もう少し健全な形で食欲や、思い通りにならない鬱憤を晴らせるようにしたいところ。
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