生きるためのセミリタイア

当たり前を疑い、40代セミリタイアを目指す

大江英樹「その損の9割は避けられる 後悔しない選択ができる行動経済学」

 

 

レジ横のガムをカゴに入れてしまう、
車を買う時に高価なオプションを付けてしまう、
こういうのは「参照点からの変化」という心理状態だという。

0円→100円の変化は大きく感じますが、3000円→3100円はあまり大きく感じないということなのです。
これが「参照点からの変化」です。


レジに並んでいるとき、既にかごの中には2000円や3000円分の商品が入っていることが多い。
そこに100円分増えても、大して変わらない感じがするということだ。

個人的にはレジ横のガムとかは買わないし、車を買う気すらないが、
通販のあといくらで送料無料、という場面では、買う物を探してしまうこともある。

 

こうしたことを防ぐためには、どうすればいいのでしょうか?
原理原則は、「ゼロクリア」で考えることです。
“ついでに買う”のではなく、“それだけを新たに買う”としたらどうだろうか?ということに立ち返って考えるべきです。

送料無料のためにカートに入れようとしたその1000円の雑貨、それだけでも買うだろうか?
という感じか。

スーパーの陳列の配置から、ネットショップのタイムセール(秒単位でカウントダウンしてくるやつが最近多い!)とか、
売る側はいろんな心理を熟知してそこを突いてくるんだから、消費者としても知識をつけて対抗していかないと、得してるつもりで損してることになりがちである。

ハリエット・タブマン―「モーゼ」と呼ばれた黒人女性」

上杉忍 「ハリエット・タブマン―「モーゼ」と呼ばれた黒人女性」(新曜社) 

 

栗原康「サボる哲学 労働の未来から逃散せよ」(NHK出版新書) で紹介されていたので読んでみた。

アメリカ南部に奴隷として生まれ育った黒人女性で、家族と引き離されて売られることがわかり北部へと逃げる。自分が逃げた後は家族やほかの人を逃がし、「黒いモーゼ」と呼ばれるようになる。貧しい人、高齢者向けのホームなども作った。
そんな人物がいたことを、これまで知らなかった。

彼女にそんなことが可能だったのは、女性の奴隷は家内労働に従事することが多かった中、彼女は機織りなどを覚えようとせず、外での肉体労働を選んだ。父のもとで木の伐採・運送などを行い、外での移動を伴う労働を通して地形や地域の情報を得たし、家政婦などと比べて奴隷主の監視から離れられる時間も長かった。
そういった知力と体力があったから成し遂げられたのだろう。

現代にも通じるような「批判」が印象に残ったので引用したい。

黒人エリートからの批判とその非現実性

このような社会の趨勢のもとで、黒人エリートはタブマンの取り組みに対して、概して冷淡だった。例えば大森一輝によれば、ハーヴァード法科大学院を卒業した黒人エリートの代表的存在だったアーチボルト・ヘンリー・グリムケ(1849-1930年)は、サウス・キャロライナ州の奴隷主を父とする奴隷として生まれたが、才能と機会に恵まれて、高度な教育を受けることができた。彼は、ボストンで弁護士になり、適者生存が社会発展のための基本原則だと確信するようになっていた。個人としての自助努力を重視し、人種としての結束を「自己隔離」として否定し、黒人に対する特別な配慮は害あって益なしだと主張した。その典型が当時始まっていたハリエット・タブマン・ホームであり、彼はタブマンの取り組みを厳しく批判していた。彼の意見は黒人エリートの間ではむしろ多数派を占める意見だった。最底辺の黒人大衆とは無縁な「自由競争万能論」の世界に生きていたグリムケらの黒人エリートは、最底辺の黒人やハンディキャップを負った白人とともに生きてきたタブマンとは対極の世界に暮らしていた人々だった。

 (※太字は引用者)

 

こういう言説は現代にもあって、困窮している人は努力しておらず怠惰だからだ、というものだ。
なまじ自分が這い上がれた人の方が厄介で、「自分はできたのだから」となってしまう。でも貧困と暴力の中で教育なんて受けられず、気力も奪い取られたまま目の前のことに対処するだけで精一杯、健康状態も悪い、というのが現実だろう。
確かに立派だけどそれだって運が必要なんだ、努力する土俵にすら立てない人が多いんだ、というのはネオリベ的意見に対して言いつづけていきたい反論である。

夏休み中にメールチェックしてたら、それはもう夏休みじゃないだろう

○仕事のメールを見る日=仕事の日、だろう

過酷な暑さと豪雨、そしてコロナの感染拡大の中でますます労働に対するヘイトが溜まっている。

職場では、夏休み中なのにメールをチェックしている人が多い。
休んでいる人が携帯から連絡してくることもあるし、上司が「休みだけど電話してくれていいよ」とか普通に言っている。

それって休んでるって言えるのか?

とはいえ私自身、夏休み明けの朝に大量にメール処理するのが嫌で、週末に確認してしまった。


たいして長くもない休みなのに、仕事に縛られてたら解放感もない。
休み最終日より2日くらい前から盛大にサザエさん症候群になっている。

 

○暇つぶし下手ですか?

あと、「長い休みがあってもやることないから仕事行きたくなる」とか言う人は本当に意味不明。
自分がつまらない人間だと宣言しているようなものだと思うが、本人はどこか嬉しそうである。

人生は暇つぶしで、仕事も暇つぶしの方法の一つだとしたら、暇つぶしの方法を他に持たない引き出しの少ない人間ということになりはしないか。
コロナ禍で休みに旅行や帰省もできないとしても、家とか近所でやりたいことだってあるし、いくらでも暇つぶしの方法は思いつく。
料理とか片付けでもいいし、本や映画もいいし、寝ててもいい。
就活やら自己分析で「やりたいこと」を求められるが、そういう会社に都合のいいやりたいことじゃなくて、
ちょっとしたことでも自分のやりたいこと、時間ができたらやりたいこととかあると思うのだが。
若者が無気力とか言ってる人と同じ口調で「やりたいこととかないの?」と聞き返したいくらいである。

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○投資への熱意

とにかくもう、ほんとに働きたくなさすぎる。収入の半分程度で生活して投資がはかどる、これが最近の楽しみである。
労働に対するヘイトを資産形成の燃料として、ガンガン燃やしていく。

あらゆるジョブがブルシット!栗原康「サボる哲学 労働の未来から逃散せよ」

栗原康「サボる哲学 労働の未来から逃散せよ」(NHK出版新書) 

 

この本の著者、栗原康の本は「村に火をつけ、白痴になれ――伊藤野枝伝」、「はたらかないで、たらふく食べたい」を読んだことがある。
「はたらかないで、たらふく食べたい」というタイトルが最高だ。

最新刊である本書も、帯に引用された
「ブルシット・ジョブとそれ以外のジョブがあるのではない。あらゆるジョブがブルシットなのだ。
の一言に痺れて購入した。

 

仕事上の予定のために、少し待てば弱まるだろうゲリラ豪雨みたいな大雨の中にわざわざ出て行ったり、
酷暑の日の、よりによって一番暑い昼過ぎの時間帯に外出したり、
そんな「仕事だから」で済まされる割に合わないこと、身体に危険の伴うことにうんざりしている。

仕事じゃなければそんな天気の日はおとなしく家にいて、少しして治まってから外出すればいいことなのに。
仕事に対するヘイトがどんどん溜まっていく。
あらゆるジョブがブルシット。この一言に尽きるのだが、本書で他に印象に残り、読みながら首を縦に振りまくったのが次の箇所である。

じつは人生でひと月だけ就活をしたことがある。あれは30代半ばのこと。(中略)予備校バイトをやったことがある。人生初、履歴書を書いた。これがもう未来志向。なにせ、自分の人生が予備校で教えるためのものであったかのように装わなければならないのだから。
「わたしが大学で政治学を学んできたのは、貴校で教鞭を振るうためであったのです」
(中略)こうして歴史は捏造される。現時点から都合よく自分の人生が書きかえられるのだ。むろんあからさまなウソだと、すぐばれる。だから、ほんとうにそうおもっているかのように努めなければならない。(中略)捏造した歴史を自分の歴史だと思いこむ。

 (※太字は引用者による)

自分の人生の過去の出来事、学生時代やってきたことや前の職場でやってきたことは、すべてその仕事のためだった。そこにつながる一本の道だった。
そんな都合のいいエピソードがみんなにあるわけないのに、それがないと説得力がないみたいになってしまう。捏造だ。
それっぽい話、それっぽい理由って歴史に関する俗説とかにもありがちだ。分かりやすいところに飛びついてしまうのだ。

こういう嘘くささ、それを真顔で言わないといけないから面接が気持ち悪くて苦手だった。
そこに就職するために生きてきた、そんなわけないだろう。
生きていくためにお金が必要で、お金のためにどこかに就職しよう(就職以外の方法もあるのだが)。それだけだ。
実はそこまで働かなくても生きていくことはできるのだけど。

「仕事だから」で自分を騙しきれない自分だからこそセミリタイアを目指し、こういった本を読んで考えを固めていく必要がある。
本当は、仕事で忙しくしてる自分が大好きみたいな人になれたら楽になれるのに。ワーカホリックな人の真似をしてみたら自己洗脳とかできないかな?と思うのだがうまくいかない。
部活すら合わなかった自分、何もしない時間が大好きな自分には無理なようだ。
ある意味諦めて、自分の偏りを受け入れ、粛々と蓄財と投資に励むのが私には合っている。

 

 

国家と“野蛮人“~「反穀物の人類史」まとめ

 

 

ヒトは自らを家畜化したといえるのではないか?というのが以前の記事。

fluffysamoyed.com

 

本書は、ヒトが植物を飼いならしたのか、植物がヒトを飼いならしたのか…

国家とは、野蛮人とはどのような存在だったのか…歴史の「常識」を疑う一冊。

 

○国家は脆弱なものだった

国家は、どれもこのうえなく強力な支配をしていたように記述されているのでそう思いがちだが、そんな恐るべき巨大海獣(レビアタン)になるのはごく稀な、しかもごく短いあいだのことだった。
ほとんどどの地域でも、王の空位期間や分裂時代、あるいはまったく記録のない「暗黒時代」の方が一般的で、確固とした有効な支配の方が少なかった。
(略)
世界の大半では、国家は、勢いが盛んだったときでさえ、季節限定の制度だった。

 

「崩壊」は、こうしたプロセスに適用することばとしては大仰すぎる。巻き込まれた側の臣民にとってはごくふつうのことで、単に分散して定住地と生業ルーチンを整理し直すという。お馴染みのパターンだっただろう。それを「崩壊」という悲劇として経験したのは、国家のエリート層だけだったのではないだろうか。

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「国家」は現代人が想像するよりずっと脆弱で、あって当たり前の存在ではなかったようだ。

今ではすべての人間がどこかの国に所属している、国民であることが前提となっているが、実はごく最近の限定的な現象であることがわかる。

○国家の「崩壊」と「暗黒時代」を問い直す

崩壊万歳

崩壊という状況の描き出すものが、複雑で脆弱で、たいては抑圧的な国家が、小さくて分散的な小片へと拡散していくことであるのなら、なぜ「崩壊」を嘆き悲しむのだろう。
(略)「空白」期は、多くの国家の臣民にとっては束の間の自由と人間福祉の向上を意味していたと、強く主張することができる。

 

古代国家の中心地の「崩壊」は。それに伴う多大な死亡者数など、多くの人間悲劇を暗示するが、多くの場合、それは間違いだ。たしかに、侵略や戦争、あるいは伝染病が大量死の原因になることもあるが、それと同じくらいに、ほとんど人命が失われることなく国家センターが放棄されることもあった。そうしたケースは人口の再分配と考えた方がいいし、戦争や伝染病の場合も、残っていれば失われた命が、都市を放棄して田舎へ逃げだすことで救われたというケースが多い。
(略)
都市中心部の放棄という事実そのものを野蛮と暴力への下降だと決めつけることはできない、と言いたいのだ。

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崩壊のエピソードに続く時代は、たいてい「暗黒時代」とよばれるようになる。(略)それは誰にとっての、どんな視点からの「暗黒」なのか、と。(略)どう控えめに見ても、ただ国家の中心地で人口が減少し、巨大建築や宮廷記録が存在しなくなったというだけで、その時代を暗黒時代と名づけ、文明の光が消えたのと同じだと理解するだけの正当な理由はないと思われる。


単に記録や遺跡が残っていないだけで「暗黒」というのはおかしい、という問いかけである。
歴史というのは国家の歴史であり、どうしても国家の側から見たものになる。だから、はっきりした国家がない時期は歴史がない、文化など何もない混沌、混乱期みたいに扱われてしまう。

国家の側から語られるから、暗黒・混沌、暴力と飢えから、国家ができると秩序が生まれ安定した生活が送れるかのようなイメージがあったのではないか。

 


○穀物と課税のしやすさ

穀物にしかない利点を理解するためには、自分が古代の徴税役人になったと想像してみればいい。その関心は、なによりも収奪の容易さと効率にある。

 

穀物(水稲、コムギなど):地上でほぼ同時に熟す。貯蔵や運搬もしやすい。徴税役人は、収穫時期に行けば一度ですべてを得られる。

イモ類(キャッサバなど):1年で熟すが、そのまま1~2年地中に残しておける。掘り出さないといけない。運搬時に嵩張るし、腐りやすい。

 

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確かに日本でもコメが課税の中心だったし、これはイメージしやすい。
徴税のしやすさというと、現代の水稲にあたるのは給与所得者ではないか。源泉徴収で毎月とりっぱぐれがない。
政府が昨今、個人商店や零細企業、家族経営などのスモールビジネスを潰して、大きな企業で働く労働者に移行させたがっているように見えるのも、課税のしやすさにあるのでは?と勘繰ることができる。


○余剰と強制

農民層は――基本的なニーズを満たすだけのものがあるとして――エリート層に収奪されるような余剰分をわざわざ自分から生産しない、生産させるには強制が必要だということだ。
(略)なんらかのかたちでの不自由な強制労働(略)を通してしか余剰はもたらされない。

 

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セミリタイアした人が非課税の範囲内で収入を得ていくことを連想した。

 

○メガビタミン、パレオダイエット

「農業女性」に認められる栄養不足(女性は月経で失血するので最も影響を受けやすい)の大半は、鉄不足によるものだったようだ。(略)穀物食は、必須の脂肪酸を欠いているだけでなく、実は鉄分の吸収を阻害してしまう。こうして、後期新石器時代に初めて穀物食への集中度が急上昇した結果、鉄欠乏性貧血が登場し、見間違いようのない法医学的な特徴が骨に残ることになったのである。

鉄・プロテイン不足があらゆる不調の原因という考え方がある。パレオダイエットは、旧石器時代の食生活に戻って、当時食べられてなかったようなもの(特に穀物)は食べないというものだ。いずれも本書の立場と親和的である。

農業と穀物食の普及で人類は飢えから解放されたかのように思われるが、本書によれば農業で得られる栄養素は労力に見合わないものだった。大変なわりに狩猟採集より栄養面で劣る、いわば「コスパの悪い」ものだった、という指摘は新たな視点だと思った。

また、 農耕が始まってからも、かなり長い期間、完全移行はせずに狩猟採集と併存していたという。確かにその方が納得できる。食糧確保は一点集中より、いろんな方法を残しておいた方が気候などにも対応でき安全だ。いきなり農業に一本化したとは考えにくい。副業みたいなものか。

○野蛮人とは

野蛮人の大多数は、遅れたり取り残されたりした原始人ではなく、むしろ国家が誘発する貧困、課税、束縛、戦争を逃れて周縁地へ逃げてきた政治難民、経済難民だったことになる。

世界史の教科書では、周縁の民、特に遊牧民は襲ってくる凶暴な奴らというイメージで語られていた。「匈奴」とか、字面からして残虐な野蛮人という感じだ。でも、教科書には、本書にあるような国家による収奪とか捕虜、奴隷といった話はあまり出てこなかった。重税の話などはあったが。

本書によれば、戦争は捕虜=奴隷、マンパワー獲得を大きな目的としていた。国家の基盤はマンパワーだからだ。農業などに従事する臣民と、過酷な労働(船を漕ぐ、岩を切り出す)に従事する奴隷がいないと成り立たない。

そういうところから逃れ、距離をとった人々を国家の側から「野蛮人」と扱っただけで、べつに未開人というわけではなかった。

○まとめ

一般的な「歴史」というのは国家の側から見た歴史にすぎない、ということが本書を読んでよく分かった。できれば自分も国家から距離をとって隠者みたいに生きたい。

2010年に書かれたということに驚き。ハイシマカオリ著「ケチケチしないで500万円貯金しました」感想

ハイシマカオリ「ケチケチしないで500万円貯金しました」

ズボラを自認する30代独身女性の作者によるコミックエッセイ。

自分と似ていると思い、読んでみた。

 

 

 

たいして食べたくもないものにお金を使いたくない

外食するときは「これが食べたい」というのがあればいいと思うけど
ただ自炊する気にもなれなくて食べたいものもなくて
どうでもいいものを買って食べて太る
これが一番イヤ

(コンビニ弁当 しかも安くない)

 
すごく共感した箇所。
疲れていて自炊したくないから、そこまで食べたいわけでもなく安くもないものを買って食べてしまう…これは避けたいところ。
私が実践しているのは、安売りで鶏むね肉やささみ、薄切りの豚肉を買っておいて、
棒棒鶏みたいな蒸し鶏や、豚しゃぶを作って冷蔵しておき、数日間かけて食べきること。

お弁当にも入れられるし、基本的にゴマダレで食べているが飽きたら味付けを変えてもいい。
レタスやもやしなどの野菜も一緒に食べられる。

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「コンビニ弁当 しかも安くない」というのは本当に同感で、コンビニって贅沢してる感もなく、心が満たされるほどおいしくはないのに結構高いから、どうしてもの時以外は利用しないようにしている。
私がコンビニを利用するのは、メルカリの発送か、切手、そして冷凍ブルーベリー(ヨーグルトにのせるとおいしい)の購入くらいである。

必要なものってそんなにない

セットで買えばお得だよ というのがよくわからない
安く買えてもはじめからその分も買わなければそっちのほうがお金使ってないわけだし
(略)
「得した」と思ってるのは 本当に得しているのだろうか?

「皆さんお金をたくさん使って経済の流れを活発にしよ!」
なんて言ってるけど不況になってモノが売れないのは
世の中そんなに必要なモノって多くないなって…みんな気づいただけなんじゃないの?
(マイカー マイホーム 海外旅行 ちょっとしたパーティーに着ていく服)

 
2010年に書かれた本なのに既にこの境地に到達しているのがすごい。
断捨離は2010年の流行語らしいが、こんまりとかミニマリストとかって感じではなかったはず。
必要なものなんて実は大してなくて、必要な気にさせられてるだけだ。

 

 

お金があるのにまだ働くの?

すでにお金をたくさん持っているのに定年過ぎてなおあくせく働き続ける人も不思議だ…
おとなしく隠居しちゃえばいいのに…
(別に働く必要ないじゃん…)

カルロス・ゴーンのニュースを見たとき思ったけど、孫の代までかかっても使い切れないようなお金を持ってて、一体何のためにそれ以上稼ぎたいのか不明。
使い切れないから、ヴェルサイユで結婚式とかわけのわからないことするんじゃないか。もったいない。

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ストレス解消のためにお金を使わない

ストレス解消=買い物という人も多いようです
でも…「買い物をしてスカッとする」心理がよくわからない
買い物依存症という病気もあるほどですが
ストレスのためにお金を使うのってどうなんだろう…
苦労して稼いだお金なのにもったいない

働かないでいられるだけのお金がないからストレスが溜まっているのであって、お金を使ってしまったらますますストレスのない状態から遠ざかってしまう。自分も気を付けている。

 

会話の終わらせ方:覇気のない態度で、とっかかりを与えない

懸賞に応募したらジュエリーの会社からイベントの勧誘電話が来たという作者。
怪しい、絶対買わされるやつだ!
その対応というのが応用が利きそうだった。

こういうとき私が取る作戦は…
「ご趣味は何ですか?」
「いや…とくに…何も……」
異常に覇気のない態度で相手の興味をそぐ
「疲れてますか…?」
「はあ…」
こうなるともう会話の「とっかかり」すらない状態
「消費する人」というのは少なからずエネルギーを持て余しているので打てば響くわけですが…
「えーと…興味ないですかね……」
「はぁ…」
打たれても吸収するのみ


勧誘は無視でもいいけど、面倒くさい人間関係もこれでいいと思う。
噂話好きの人とか、いじるために個人情報を聞き出したいだけの人とか。
「休みの日…は…寝てますね……」「あぁ…はぁ…まぁ…」でだいたい乗り切れるんじゃないか。

 

一人暮らしとペット

「家具付きアパート」ならぬ「猫付きアパート」があればいいのに…

これは既に実現してる!すごい!

 

冷房は誰に温度を合わせているのか問題


冷暖房が苦手で、冷風が直撃するのが無理という作者。

いったい誰に温度を合わせてるの?スーツを着たおっさん?
それともおっさんのニオイ消しが目的?
(常温だとにおうから…)

お金まったく関係ないけど笑った。確かにクーラー強すぎる場所も多いけど、弱冷房車しかないとしたら地獄だな…

 

まとめ~作者の先見の明


本当に欲しい物だけを買って、セールやポイントカードには振り回されない。
など、2010年時点(私が読んだのは旧版だったようだ)でこれをブログで書いて本になったという作者は、物とお金や暮らしを見直して整えていく界隈のはしりではないのか?
アザラシのイラストがゆるくてかわいく、さらっと読めて楽しい一冊だった。

 

セミリタイアに向いている人とは?~面の皮が厚くないとセミリタイアはできない

「ふつう」とか、他人の目を気にしていたらセミリタイアどころではない。

・「ふつう」という基準に意味はない

周りが残業していてもとっとと帰るとか、会食を断るとか、
それくらいできなければなかなか目標には近づけない。

セミリタイア自体「ふつう」じゃないのだから。

結婚、子ども、マイホーム、車。
何歳ならこれが当たり前。
ふつうはこれくらいのものを持ち、これくらいのお金をつかっている…
そんな基準は何の意味も持たない。
老後はこれくらいのお金が必要と言われたって、そんなもの人によって大きく差があるから、自分の生活で計算しないと意味がない。

「ふつう」は統計上の平均値や中央値とも乖離していると思う。
いまや非正規だってふつうだ。
東京郊外の新築の家に大きな車、専業主婦と子ども2人…そっちの方がむしろふつうではない。
あくまでその人にとっての「ふつう」があるにすぎない。

 

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・他人の目はどうでもいい

仕事ができない奴、ノリの悪い奴として白眼視されようと、
気にしない面の皮の厚さが必要だ。

他人の目を気にすることとセミリタイアという生き方は相容れない。

嫌われないための努力は、するのであればずっと継続しなければいけない。途中で降りられない。
緩めた途端に効果がなくなってしまうからだ。
それなら最初から気にしない方がいいのではないか。