生きるためのセミリタイア

当たり前を疑い、40代セミリタイアを目指す

【その1・衝動買いを減らす】いちのせかつみ「書かずに貯まる!クリアファイル家計簿」感想

 

書かずに貯まる! クリアファイル家計簿

書かずに貯まる! クリアファイル家計簿

 

 

 

○クリアファイル家計簿とは?

本書で提唱されているクリアファイル家計簿とは、
毎日、2000円をクリアファイル(クリアポケットが本みたいになっているもの)から財布に移し、
食費・日用品費はクリアファイルに分けた1日2000円でやりくりする。
1日過ごして余ったお金とレシートはクリアファイルに戻す。
家計簿を付けなくてもやりくりの感覚が身に付き、無駄遣いが減る…という方法。

家族でも単身でも同じ2000円。
ただ、お米や交際費、服代などは別枠で、その分の現金は別にファイリングしておいて、使う日に財布に入れる。

・自分が実践するとしたら…

食費・日用品費合わせて月10万円ほど使っていた人が、6万円まで減らせる、というのを想定しているそうだ。
あえて家族の人数を考慮していない数字なので、単身世帯だとこれは結構多いと思う。
私の場合は、家計簿によればもともと食費・日用品費が合わせてだいたい月4万円~4.5万円なので、1日当たり1333円~1500円となり、2000円だとかなり余る。
やってみるとしたら、1日1500円にするか。

 


○衝動買いを減らす方法

本書では、クリアファイルを使った方法そのものだけでなく、無駄遣いを減らす方法も詳しく書かれていた。特に、衝動買いを減らす方法に焦点が当てられていたので、まとめて紹介したい。

・漫然とした支出

ドラッグストアで見つけた、かわいらしいデザインの芳香剤。スーパーで特売になっていたお徳用のチョコレート詰め合わせ、大袋のスナック菓子。そして、レジ近くで売っていた三色団子。
ちょっといいなと思ってレジかごに入れたけれど、よくよく考えてみると、どうしても欲しいものというわけではない。こうしたこまごまとしたものを買った結果、財布からお金が消え、通帳の数字は一向に増えないのです。

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こんな買い方をしていたら、お金もそうだけど、健康に悪いし太りそう。めちゃくちゃ運動する人なら別だが、お金が貯まらず脂肪が溜まっていってしまう。
どうせ太るなら、もっといいものを食べて太りたい。。


・考える時間を設ける

3000円のものを買うなら3日、3万円なら3週間、30万円なら3か月考える。
(略)その瞬間、欲しかっただけのものであれば、3日も経てばたいていどうでもよくなります。

これ、特に危険なのはネットショッピングだ。特に、深夜にスマホで…というのが、高額な物でもいつでも簡単に買えてしまい、衝動買いにつながりやすい。
コロナ禍だしネットショッピングを利用するのはいいが、カートに入れて1週間は放置するとか、購入はパソコンからにするとか、制限を設けるのがよい。


・買う理屈なんて、いくらでもつけられてしまうもの

人は衝動買いを正当化する

衝動買いの場合、何かしら理屈をつけて買うものです。やっていることは明らかに衝動買いでも、その瞬間、本人にとっては衝動買いではありません。
例えば、目の前にかわいらしい指輪があったとします。すると、
「もうすぐ、いとこのAちゃんの結婚式があるしな」
「そこそこの年齢になってきたら、最低限、こういうもの持っておかないとあかんし」
と、頭の中で“計画”をでっち上げてしまう。あたかも、「最初から買うつもりだった」かのように、自分をだましてしまうのです。
(略)
考えて買ったものならいいけれど、考えずにお金を使うのはもったいない。例えば、めったに使わない3万円の指輪を衝動買いしたばかりに、毎日のように履く靴が買えなくなる、といったことが、そこかしこで起きているんです。

 

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目の前にあるものが「欲しい」だけなのに、「今度の○○に着て行く服が必要だし」とか「先月は節約頑張って服を1枚も買わなかったし」とか、なんやかんや理屈をつけて「必要」という方向に持っていってしまうのだ。

正直、理屈なんて何にでも、いくらでも、後からでもつけられる。どうせそんなに色々考えるなら、買わない理由を考える方に頭を使ってみるのも一つだと思う。
「似たようなもの持ってるし」「外出の機会が少ないから、ほとんど着ないうちにシーズンが終わる」とか。

 

 

 ・“節約しよう”として“安いから”買ってしまう

例えば、洋服を買いに行ったとき、定価3万円のワンピースが1万円になっていたら、手に取りたくなりませんか。もっと身近なところだと、スーパーの惣菜コーナーでひとつ400円のものが、2つで600円になっていたとしたら……?
みなさん、すでにお察しのように、これらが本当に必要なものであれば「賢い買い物」です。しかし、「安さ」に惹かれただけであれば、「買わなくてもよかったもの」の可能性が高いのです。

 

買わなきゃ100%オフ!もともと必要なものならいいが、安いからといって予定にないものをかったり、使い切れないとかだとかえって無駄。必要なものを必要な時に、必要なだけ買う方が結局は節約になる。

 

・本当に必要かどうか

本当に必要?チェックリスト

□本当に必要ですか?
□同じようなものを持っていませんか?
□予算を超過していませんか?
□自分で手入れできますか?
□長期にわたって使えそうですか?
□収納スペースはありますか?
□(セール品の場合)定価でも買いますか?

 「手入れ」は地味に重要で、例えばドライクリーニング代とか馬鹿にならない。あと収納スペースも、考えて買わないと今度は整理収納に凝ったりして手間暇がかかってしまう。

 

○まとめ

冷静に、よく考える時間をとってから、本当に必要なものだけを買う。基本なのだが、何度でも思い出すのがいいと思う。

 

【1年間服を買わない】松尾たいこ著「クローゼットがはちきれそうなのに着る服がない!そんな私が、1年間洋服を買わないチャレンジをしてわかったこと」感想

「1年間服を買わないチャレンジ」「100日間服を買わないチャレンジ」についてはネット記事やブログなどでもよく見かける。
100日なら余裕だけど、1年はきつそう。ちょっとやってみたいな~と思っていた。

 図書館をうろうろしていたら目に付いたこの本。  著者はイラストレーター。

 

○ 参考になったところ

1.やり方がシンプル

(まずは100日間)洋服を買わない。
女性誌を買わない、読まない。

というやり方なので、わりと誰でも気軽に始めやすい。とりあえず1か月やってみようとかもできるし。
今だと、「インスタを見ない」とかも入ってくるのかな?ファッション系はフォローを外すとか。

2.買わないぶん、あるものを活用する

処分をすすめていても、何となく捨てきれなかったモノもありました。でも、新しい洋服が買えないと、そんな服や小物たちにも再び、出番が回ってきます。
(略)
捨てきれなかった「かつて大好きだったモノ」の“敗者復活”は、嬉しいものです。

ある程度モノを減らせている人には、これもよさそう。ある程度、サイズやデザインが自分に合っているものなら、むやみに捨てなくてもよいと思える。

3.年齢と清潔感

くたびれた服を着ない
ヨレヨレになった高いTシャツよりも、パリッとしたユニクロのTシャツのほうが、私たちの世代には◎。パリッとしている服は元気に見えるから。これはすごく大切な判断基準です。

元気に見えるかどうか、という判断基準。わかりやすくてよさそう。

清潔感が一番大切
年をとってカッコがいい人は、男女ともに清潔感を大事にしてます。そこが一番大切なこと。おしゃれじゃなくても、清潔感があればまずはOKです。

個人的には、部屋着などはクタクタの方が着心地がよかったりするし、毛玉くらいで服を捨てていいのかと思うこともある。

 (過去記事)

fluffysamoyed.com

 

ただ、外出時は(不審者にならない程度に)清潔感とか健康感を保つというのを、おしゃれとかめんどくさくてやめた後の基準としておきたいと思う。

 

 

○ 参考にならなかったところ、ノイズと思ってしまったところ

1.金銭感覚が違いすぎる

まず、出てくるアイテムに高級なものが多い。「ファリエロサルティのストール」など(4万円とかする)。
「近所のお気に入りセレクトショップ」というのが何度か出てくるが、近所とは代々木上原(渋谷区)…高級!
そもそも近所におしゃれなセレクトショップとかないし。。

著者は東京、福井、軽井沢の三拠点生活。でも、ミニマリストらしい。
ミニマル…???
二拠点ならともかく、ちょっとついていけません…

2万円くらいのワンピースが一番ネックだと聞きました。なんとなく買ってしまうからでしょうね。でもいくら安く買えたなあと思っても、それをクリーニングに出して、次のシーズンまで着たくなるかどうか?値段を理由に買った洋服は、メンテにお金をかける気になりません。

「2万円くらいのワンピース」が、気軽に買ってしまいがちな値段のアイテムの例として登場する。
いや、高いよ。。「値段を理由に買った洋服」というには、ゼロが一つ多い。

お金があって「よろしおすなぁ~」と、なぜか京都弁で嫌味を言いたくなってしまった。

 

2.服の扱い方(チャレンジ開始前)

ほんとに服とかファッションが好きなの?と思ってしまう箇所が、結構あった。
ちゃんと手入れせずにしまい込んだから汗染みや臭いがとか、その辺に脱ぎ捨ててたとか。。
服というより買い物が好きなだけでは?と思った。

3.小物買いすぎ

本書の場合、服は買わないけど下着と小物は買ってもいいというルール。
で、結構たくさん買っていた。

「気がつくと、帽子・指輪などかなりの量の小物を買っていました。」
「旅先で洋服が買えない反動で、靴・バッグ・アクセサリーは買ってしまいました。」

気がつくと…???
手持ちの服を活用するために小物は購入可、というルール自体は分かるのだけど、
一度にそんなに買うかな?ちょっとよく分からない。

 

結論:ジェネレーションギャップなのかな?

私自身、過去にはそこそこ服やファッションに興味があり、それなりにお金や労力をかけた時期もあるのだが、著者にはそれほど共感できなかった。そんなにバンバン買うほど、欲しい服に出会えないし。
たぶん世代の違い(松尾たいこさんは、1963年生まれ)も大きいのだと思う。

偏見かもしれないが、今50代60代くらいの人って結構お金遣うイメージがある。シンプルライフとか断捨離系のブログでも、過去はかなりモノを持っていたというような。
それで老後のお金がないとか言われたら、20代30代は怒っていいと思うのだが…本書と関係ない被害妄想になってしまった。

○本書をおすすめする人

私のように、もともと大して服を買っていないという人には、さほど参考にならないかもしれない。
ファッション関係の買い物が趣味になっている人で、節約のためとかではなく、自分の好きなスタイルを把握したい、確立したいという人にはおすすめです。

やりたいことがありすぎて、出勤してる場合じゃない

やりたいことがたくさんある。
ほとんどは家の中でできることだ。

図書館の返却期限が迫った本とか、読みたい本がまだまだあるし、ブログの記事も書きたいし、
季節の花は旬のうちに見ておきたいし、朝散歩も習慣として続けたい。
ストレッチと筋トレ両方やりたいし、
特に役に立つあてのない語学の勉強もしたい。
健康のために自分で作ったものを食べたいし、冬物の寝具とかを洗って片付けたい。

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そんなこんなで自宅とその周辺だけでもやりたいことが多すぎて、出勤とかしてる場合じゃないのだ。
通勤はもちろん出勤前の準備にも時間がとられるし、仮にその日やるべきことが終わったとしても帰ることはできない。
ただそこに拘束されている。
仕事帰りのスーパーは混んでいるか、既に閉まっている。

天気のいい春の一日を、灰色のオフィスに閉じ込められて過ごして平気という方が、「普通」「正常」から外れているのではないか。

 

 

「ふつう」って何だ?自分の考えを押し付ける人たち

出勤するとすごく疲れる。理由はたくさんあるが、その一つとして、職場には保守的な考え方を持っていて、しかもそれを他人に押し付ける人が多いからだと気付いた。

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「ふつう」って何だ?

以前、40代の男性が、その場にいない自分より年下の男性(たぶん30代)を話題に出して、「あれくらいの年齢なら普通結婚してるよな」みたいなことを言っていた。
その40代男性は、一度も結婚したことがない。笑わせようとして言っているのかと思った。
すぐに「まぁ、自分も結婚してないけど」と補足していたが。

「遅くとも30代で結婚するのが当たり前、普通」という考えを、ふっと口に出すくらい強固に持っていながら、
自分はその「普通」から外れているという事実はどうとらえるのだろう?辛くはないのだろうか。

極端に下品な話をするとか、相手に直接言ってしまうとかまでではないものの、
社会の動きを毎日チェックするのは当然という「アンテナが高い」はずの人々でありながら、
女性の年齢や外見を話題にしたり、結婚観・家族観に介入したり、「○歳ではこうじゃないとヤバい」みたいなことを日々、発言している。

頭の中では何を考えていても自由だから、別に明治時代のままでいてもいいのだが、発言したり他人にそれを押し付けるとなると、話は別だ。

とにかく、他人のことは放っておきませんか。ただただそう思う。

 

放っておいてほしい

数年前のことだが、運動会などの社内イベントが見直される動きがあるとのニュースを見た。
運動会は休日に行われる。その時点で「はい、解散~」という感じなのだが、そこでは新しい試みなんですよというノリで、
「家族やパートナーを連れてきてもいいことにしたので、一緒に過ごせると好評」的なことを言っていた。

勘弁してくれ。

休日なのに、家族やパートナーだけで過ごさせてあげないのか。なんで介入してくるのか。恩着せがましい。
家族も恋人もいない人はどうするのか。不参加という選択肢はちゃんとあるのか。

どうせ「Aさんの奥さんは美人」みたいなジャッジが(後日であれ)行われるであろう場所に、パートナーを放り込みたいと思うだろうか?
パートナーが同性という人のことは想定しているのだろうか?

「LGBTに理解のある職場」とかいうけど、そもそも職場で性的指向を明かす必要がどこにあるのか。
住居手当とかの関係なのか?

別に理解できなくてもいいから、とにかく放っておく、立ち入らないという発想はないのだろうか?

寝たいときに寝て、起きたいときに起きる生活~高村友也「自作の小屋で暮らそう Bライフの愉しみ」感想

 

 

 

概要

セミリタイア界では有名な本書。
雑木林の中の土地を買って、自力で小屋を建てて暮らす。
水道や電気は引かずに、川に汲みに行き、ソーラー発電を利用する。トイレはコンポスト。

BライフのBはBasicだが、行き当たりばったりのBabyish(幼稚な)ライフだとも著者は言っている。

セミリタイア生活の住居としては、
小屋暮らし派安アパート派、そして中古一戸建て派(セルフリフォームする場合もある)にざっくり分けられると思う。
本書は小屋暮らし、しかもセルフビルド。

自然も感じられてマイペースで、すごく楽しそうだ。
自力で建てるとなると怪我をしそうで、私の場合はあまり現実的ではないかもしれないと思ったが、
薪ストーブで一気に生活が変わっていくところ(文庫版で追加された部分)など、読んでいてワクワクした。

以下では、印象に残った箇所を挙げていきたい。

自由な睡眠

寝たいときに寝て、起きたいときに起きる。この「自由な睡眠」が可能な時点で、上質な睡眠はほとんど保証されているようなものだ。どれだけ高級ベッドと高級枕に睡眠グッズなるものを備えたとしても、自由な睡眠とは比べ物にならない。
(略)
朝目覚まし時計の不快音で起こされることほどその日一日の体調と気分を台無しにすることはない。
面白い本に出会えば二日間一睡もせず、次の日は丸一日寝ていればいい。天気がよく空気がカラっとした日には朝早く目覚めるし、前日夜食を摂り過ぎていれば午後まで寝ていることもある。(略)
また、何気ないときに、コテン、と死んだように眠るのもいい。(略)
短眠がいいとかたっぷり寝たほうがいいとか、朝型がどうとか夜型がどうとか、そうしたご高説を全て吹き飛ばすだけの破壊力を、自由な睡眠は持っている。いつどれだけ寝るべきかは、体が一番よく知っているわけで、それに従えばいいだけである。

うらやましい…!好きなときに好きなだけ寝る。これほどの自由があるだろうか。

自分の生活を顧みれば、平日の朝の「不快音」はもちろんのこと、休日ですら、補助的にではあるがアラームを使って起きている。休日が限られているから、「有効活用」する必要があるのだ。なんという不自由さか。

コロナ禍でむしろ売れているものに寝具があるらしいが、睡眠時間やタイミングに制限があるからこそ「睡眠の質」にこだわらざるを得ないのではないか。

できるだけ早く、著者のように自由な睡眠を手に入れたいものだ。

 


テレビのくだらなさ

東京でテレビを見ていた頃は、余りのくだらなさと、情報の嘘っぽさ・押し付けがましさ、何人もの人間のフィルターを通され価値付けされた上での放送に辟易して、窓から放り投げたくなることもあったが、それはそういうものと距離を置けない自分への苛立ちの裏返しでもあって、そういうことも含めて、テレビ劇場だと思って見ることができれば、ジャンジャン映像が入ってくるというのはやはり凄いことだと思う。
と言いつつも、既に長らくアンテナとチューナーは無用の長物と化している。


正直、テレビ番組なんて、著者のような東大の哲学科卒の人に向けて作られているわけがないので、著者にとってはくだらなくて当たり前である。見ていた頃があるということがむしろ意外だった。東大卒の哲学者などという少数派に向けて作るわけがない。採算がとれない。

私は10数年前からテレビのない暮らしをしているが、当時は周囲の人に驚かれた。今だと、「ふーん」程度ではないか。

10代の頃、「めざましテレビ」を観ていて、疑問だらけだった。

「女子アナ」は明らかに外見で選ばれているアイドルみたいな人たちなのに、同じ画面におさまるおじさんたちはどうして全然きれいでもなんでもないんだろう。バランスが悪いし、画面のきれいさが結局プラマイゼロになっていて、何がしたいのかわからない。

なんで全国の人に、東京の原宿の情報を届ける必要があるんだろう。原宿とか渋谷とか、遠く離れているのになんでそんな細かい地名まで自分は知っているんだろう。おいしそうだけど食べに行く機会のないスイーツの、その店で一番人気のメニューがどれかなんて情報が蓄積されていく。

朝やってたニュースが昼も午後も夕方も繰り返される。テロップや出演者の表情などで強調される情報。こういう反応がスタンダードですよ、とばかりに増強されていく。

思い出しただけで押し付けがましい。もういいよと言いたくなる。

だいぶ脱線したが、クワガタ(表紙にもいる!)が入ってくるような楽しい小屋に住んでたら、そりゃあテレビなんて無用の長物になるだろうと思う。

 


ゴロゴロしていたい

最後に、「自由」という動機がある。言葉にしてしまうとこれほど色褪せてしまう概念も珍しく、できれば自分からは口に出したくない言葉だが、これを挙げなかったら嘘になってしまう。
筆者にとって、「寝る」あるいは「ゴロゴロする」というのは、自分からは口にしたくない「自由」の隠語でもある。ありがたいことに、「自由」と「ゴロゴロする」とは、その言葉の使用のタイミングがピタリと一致するのである。おそらくそれは、一生寝ていてもよいという自由を欲しているからであろう。
(略)
では、その自由であなたは何を生み出したのか、芸術か、発明か、科学技術か、と問われるかもしれないが、「……のための自由」なんて語義矛盾も甚だしい。何も生み出す必要などない。ただ生きて、意識があって、自由に考えることができればそれでいい。

 また寝る話かと思われそうだが、やはり私は、好きに睡眠をとる、ゴロゴロするということにものすごく魅力を感じる。

寝ていたい。好きなだけ。

たったそれだけのことができないって何なのか、と思ってしまう。

そして、著者の「何も生み出す必要はない」という言葉に心強さを感じる。

リタイアして何がしたいのか、何を生み出すのか。隠遁生活の中で執筆や創作にいそしむというのもいいけど、何もしない自由というのは自由の重要な部分を占めていると思う。

小屋暮らしだと水を汲みに行ったり薪を拾いに行ったり、小屋の修繕をしたり、それなりにやることがあるので、「何もしたくない願望」を満たすのは安アパート暮らしの方かもしれない。しかし、本書の自分で何でもやる小屋暮らしのワクワク感も捨てがたいので、セミリタイア生活の候補として持っていたい。

「浪費するアメリカ人」―労働と消費、ダウンシフター【後編】

前編はこちら。

 

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 旧版の表紙はなかなか強烈である。

 

 

3.労働と浪費、労働のコスト

時間の欠乏、ストレス、消費

残業続きだと遊ぶ時間もないのでお金が貯まるかと思いきや、ストレスで散財してしまう…という経験をした人も多いのではないか。

時間消費的でストレスの多い仕事はあらたな消費圧力を形成する。職場での労働時間が長くなると、時間と手軽さを重視するようになる。買う余裕のある人は、調理済み食品や持ち帰り用食品を購入したり外食したりする。また、ベビーシッターや掃除人を雇う。
(略)
何人かのダウンシフターが証言するように、職場の不満もまた支出の原因になる。「お金といえば、私がしている仕事が原因の満たされない気持ちや空虚な感じを埋め合わせるために、やみくもに遣いました。……ただ自分を保つために遣ったのです」

長時間労働→料理する時間もない→割高なテイクアウトや外食にお金を使う。

お金だけでなく健康にもよくない行為である。働いてお金を得たはずが、働かなければ使わなくて済んだお金というのも馬鹿にならないと思う。

食費以外にも、腰痛でマッサージに行くとか、判断能力が鈍ってネットで衝動買いとか、体調を崩して医療費とか…そんなに働かなければ不要だった出費である。

 

ダウンシフター

90年代に書かれたのに既にダウンシフターがいたというのが意外だが、収入も減るけど支出も減らして生活をダウンサイジングする人たちが登場する。

ドミンゲスの計画は、(略)富を得ることによってでなく欲望を小さくすることによって、労働の世界ですり潰されてしまうことからの解放を約束したものである。
(略)
彼らの計画は、すべての消費を細かく追跡することを伴う。単に追跡するだけでなく、たとえ買いたいと思ったものが何であっても、その価値をそのために金を稼ぐのに必要な時間と比較して吟味する。その計算は、働く時間をすべて考慮に入れ、仕事着の費用や、あまりにも疲れて料理できないので持ち帰り料理を買う費用を含め、仕事に関係する全経費を差し引いて、実際の時間賃金を決定する。実質賃金率が与えられることによって、あなたは、新しいカウチが三週間の労働に値する価値があるかどうか、四泊五日のバハマ旅行が一か月の稼ぎに匹敵するものかどうか、あるいは朝一杯のラッテにこだわってもう30分働きたいかどうかを計算することができる。その計画に従う人は、こうしたことを問題にするときには消費を減らすようになる。以前よりはるかに少なくなる。

ここでは、仕事に関する経費として料理できない分の費用とかまで算入しているところが厳密でよい。定時で帰れていれば家にあるもので食事を済ませられたのに…ということは多い。

この方法で、「あと△△時間余計に働いてでもそれが欲しいか?」と自問自答したら余計な出費はかなり減りそうだ。
労働の世界ですり潰されてしまいたくない!切実な思いである。

 

 

 

「浪費するアメリカ人」―ステータス消費と過剰な労働【前編】

過去の記事に書いた「じゅうぶん豊かで、 貧しい社会」の中で引用されていて興味を持った本。日本での刊行は2000年。 

 過去の記事はこちら。

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本書では、アメリカ人(主に中流階級)は働きすぎ・消費しすぎであるという研究結果のほか、減速生活者(ダウンシフター)の登場も紹介されている。

 

1.ステータス消費

化粧品とステータス

私たちのテストは、数十億ドルのビジネスである女性用化粧品から始めた。この産業は、容貌、錯覚、ステータスの機能に魅力的な表情を与える。化粧品会社は、いろいろな意味で、19世紀の怪しげな水薬売りとほとんど変わらない。
(略)
しかし、その効果がはっきりしなくても、女性は買いつづける。彼女たちは、何百回、何千回でも、リンクルクリーム、化粧水、アイシャドウやおしろい、口紅や化粧品に金を払う。それはなぜか。彼女たちは、高価なデパートで買うスリル、美しさと性的魅力のファンタジーにふけり、「ビンの中の希望」を買う、といった手の届く贅沢を求めているというのが一つの説明である。化粧品は、それ以外には全く味気ない日常生活からの逃避である。

※強調は引用者による。以下同じ。

 本書では、口紅は価格による品質の差がないこと、そして洗顔クリームのような自宅でしか使わないものに比べ、口紅のような人前でも使うものでは上位のブランド品を買う傾向が強いという研究結果が紹介されている。

これは日本で言うと、クレンジングはちふれだけど口紅はシャネルで、その逆の人はあまりいない…みたいな感じだろうか。LIPSとか見てると10代で普通にYSLのリップアイテムを使ってたりしてびっくりする。自分が高校生の頃はマジョマジョを買うのもおっかなびっくりだったのだが。。

化粧品、特に色ものは買いすぎがちなアイテムだと思う。以前にも書いたが、これを使えば一気にきれいになれる、毎日が輝きだすかのような妄想にとらわれやすい(=ビンの中の希望)のが化粧品という商品だと思っている。また、口紅でいうとブランドものでも4000円とかなので(十分高いけど…)、バッグなどに比べれば随分手ごろに見えるということもあるだろう(=手の届く贅沢)。

 

不安と消費

他の研究は不安感などの心理的な特徴に焦点を当てている。ピーター・ゴルヴィッツァーとロバート・ウィックルンドは、成績が悪く就職の見込みも少ない経営学専攻の学生は、高価なブリーフケースやペンや腕時計を買う傾向が強いことを発見した。

高級品を身に着けたからって「できるビジネスマン」になれるわけではないのだが、なんだか切ない研究結果だ。

消費とアイデンティティ

個人がステータスグッズを追求する可能性は、ただちにアイデンティティの問題を、そして、あなたが消費するモノとあなたが誰であるかとの関連を提起する。個々人の人格的特徴を消費者の選択と結び付けようとする試みは、市場調査において、かつて好んで使われていた。どんな種類の女性が普通に挽いたコーヒーよりもインスタントコーヒーを好んで買うか、誰がシボレーではなくてフォードを運転するか、マルボロを吸う男はどんな種類の男かを解釈するために膨大な努力が注がれてきた。
消費財は、自己を表現し、社会的人格(ペルソナ)を創りだす機会を人々に提供すると、いまでは広く信じられている。(略)「我買う、ゆえに我あり」。

上の化粧品の例でいうと、私はシャネルよりTHREEが好き、とか、エシカルでサスティナブルなブランドを選んでる、とかそんな感じだろうか。もちろん本人が満足していればそれでいいのだが。

それを選ぶことで自己を表現し、自分が差別化され形作られるのだという発想。でも、結局は画一的な大量生産品である。


準拠集団と「隣の億万長者」

これで私たちは、なぜ「隣の億万長者」が大半のアメリカ人とは対照的に貯蓄できるのかを理解することができる。彼らはけっして自分の準拠集団を変更しようとはしない。
(略)
どうやら教育程度が高いほど、ステータス志向が強く、自己顕示や地位のための消費に走りやすく、さらにあこがれの対象で自分が属したいと思うような上位の準拠集団についていこうと熱中するようだ。

本書によると、大卒・大学院卒の高い教育を受けた女性ほど浪費する傾向があるらしい。特に、準拠集団(隣近所とか職場とか)と比べて自分は少し貧しいと感じている人ほど、消費が多く貯蓄率が下がる。高学歴の人は職場でもっと高収入の人(上司、経営幹部)と接するので、ステータス志向が強くなるのではということだった。

「隣の億万長者」は日本でもよく読まれているが、稼いでも生活水準を上げないことが共通点だった。

日本でいうとこんな感じだろうか。勉強の得意な田舎出身者が東京の大学に入り、高収入の職を得たとする。地元の友達と仲良くし続けて、以前の感覚を失わなければ、かなりの資産ができる。

他方で、港区出身の同級生やら、実家が青山にビルを持っているという同僚やら、地元に残っていたら一生出会わなかったような人たちと自分も同じだと勘違いしたり、ついていこうとしたりすると、高収入であっても大変なことになる…

 


2.テレビと広告

テレビの影響

私の調査結果は、テレビを見れば見るほど支出が増加するということを示している。テレビと支出の関係については、テレビを見ると普通だと考えられるものの基準が引き上げられると説明できるだろう。テレビのスクリーンに描き出される生活スタイルは、平均的なアメリカ人のそれとはまったくかけ離れたものなのである。多少の例外を除けば、テレビの登場人物は中流階級の上層か、金持ちでさえある。
消費研究家のトーマス・オグインとL・J・シュラムによる研究は、この上昇傾向を確認している。テレビの視聴時間が長い人ほど、アメリカの家にはテニスコートや自家用機、オープンカー、自動車電話、プールがあり、使用人もいるものだと思う人が多い。

日本でアメリカのドラマを見てると「へ~、アメリカの家ってこんなに広くてプールまであるんだ~」と思いがちだが、アメリカ国内でもそうらしい。


広告の欺瞞

三日月形のマークがビューンと走り去る前に、ナイキは女性のパワー、自立、かっこよさを象徴していると私たちに信じさせたいのだが、本当に役に立っているのかどうか考えてみよう。ナイキは一日200万ドルを使って、女性にスポーツを奨励しているというが、ベトナムの女性労働者に支払う日給1.6ドルを考えれば、ごまかしではないのか。

時給どころか日給が1.6ドル…!

人種差別、性差別に反対する姿勢を打ち出しているブランドでも、他国の工場で低賃金労働(そして児童労働も)を強いていないのだろうか… 最近はちゃんとしているのだろうか…??

 

長くなったので後編に続く。