生きるためのセミリタイア

当たり前を疑い、40代セミリタイアを目指す

リモートになった途端、力が湧いてきた

・リモートの日の朝は急に元気になる

ここ最近、出勤に加えて残業続きで疲弊しており、ゴミの日を逃すなど部屋も荒れ気味だった。
久しぶりにリモート勤務の日ができた途端、朝から力がモリモリ湧いてきて、かなり活動できた。

朝7時頃自然に目が覚めて、ストレッチをして、順調にお腹がすいたので朝食を作って食べ、
放置していた流しの排水口を掃除し、床にクイックルワイパーをかけ、とりきれないゴミにはコロコロをかけ、
ゴミを袋にまとめて出し、散歩を兼ねて図書館に行き返却と予約本の受け取りをし、
スーパーで食料品の買い物まで済ませた。

これらすべてを、始業までに済ませることができた。さらに、昼には昼食と保存食を作ることまでできた。

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自分はどちらかというと朝型なのだと思うが、ここまで活動できたのは、
「今日は家にいられる!」「出勤して人と顔を合わせなくていい!」という思いから、元気が出てきたのだと思う。

・人と会わないのは苦にならないし、ほっといてほしい

私は人と関わることであまり喜びを感じることができない。
できれば放っておいてほしい。
かまってちゃんの逆は、ほっといてさんだろうか。

ごく一部の身内や友人以外の他人と話したって、元気なんか出ない。特に職場ではそうだ。

 

一般的には、人と会話しないと元気がなくなる人が多いのだと思う。
コロナ禍で人と会って話せなくて辛い、同僚との雑談も実は大切だった、みたいな意見が散見されたが、
なんの仕切りもないオフィスで四六時中誰かと顔を合わせてるなんてストレス以外の何物でもない。
「寒いですね」レベルの世間話ならともかく、保守的な人の多い職場で個人的な情報など言うだけ損なので、雑談もそれほどしたくない。
誰も「オンラインランチしましょう」とか言いださないのでほっとしている。言われても断るが。

・どうでもいいのに重要なふりするの、やめよう

始業前はあんなに元気だったのに、PCを開いてメールチェックをしていると、
だんだんげんなりして気力が萎えてきて、「どーーでもいい!!」と大きめの声で言ってしまう。
自宅なので言っても問題ないのだが。

どれもこれも本当にどうでもよくて、なんでこんなどうでもいいことを、真面目な顔してさも重要かのようにふるまっているのかと思えてくる。
もはや滑稽に見えるくらいの領域に達している。
どうでもいいことを重要なふりするのはもう、せーのでやめたらいいのに。

仕事が心底どうでもいい

仕事とか、心底どうでもいい。最近ますますその気持ちが強まっている。

ふと休日に仕事のことを思い出してしまい(まだまだ修業が足りない)、
これが終わってないとかあれうまくいくかな、などと一瞬でも考えてしまうと、その途端、
「どーーでもいーーーー!!」と叫びながらのたうち回りそうになる。

給与所得者は仕事が増えて忙しくなっても、まったくと言っていいほど得をしない。
残業代が出たとしても自分の時間は奪われ、不規則な生活で健康も損なわれる。

やってる感を出すために思いつきで仕事を増やす管理職なんて最悪だ。暇なんだろうな。
これがブルシットジョブってやつか…と思う。
仕事を減らすための思い付きなら歓迎だが。

 

 

就職でも転職でも、面接ではやる気のあるフリをしなければならない。
本当は働きたくなんかないのに、「働きたいです!」「こんなふうに貢献できます!」とアピールしなければならない。
上司との定期的な面談などもそうで、死んだ目で「何もしたくないです…」と言うわけにはいかないので、無難な対応をしなければならない。

でも本心では、心底どうでもいい。生きていくのに必要な金銭を得られればそれでいい。
今の仕事が嫌とかそういうレベルではなく、労働自体が嫌だ。
せっかく稼いだお金を労働のために使うとか論外なので、仕事にしか使わないもの(スーツ、名刺入れとか)にはお金をかけないし、飲み会にも行かない。

 

「打ち上げ」って何?ロケット?
何の慰労にもならない。帰って自炊して湯船につかり、さっさと寝た方が癒される。
おじさんたちは家に帰りたくないのか?趣味とかないのか?
いったいどっちが「普通」なんだ?

30代の私は40歳でのセミリタイアを目標としているが、それまで労働を続けられるかすら疑わしくなってきた。。

ものを買ったからって、魔法みたいに変わることはない

通勤ファッションなんてどうでもいい、健康第一

就職したての頃は、30歳になったらダイヤモンドの一粒ネックレスくらいは持ってて、
ちょっと高いブランドのバッグを持って出勤したりするのかな~と思っていた。

しかし実際は、革のバッグは重くて電車で疲れるし、雨の日は使えない。
ヒールなんて運転手付きの身分でもないのに体力の無駄遣いすぎて履いていられないし、地震が来たらどうするんだ。
足の甲がちゃんと固定されてて、走れる靴がいい。

ダイヤモンドが合うようなパリッとした服を着る場面もないし、洗濯機に放り込めないような服は着なくなる。クリーニング代って地味に高い。
社員証だけでも肩が凝るから、首から何もぶら下げたくない。

ドライアイがひどくてコンタクトレンズと目薬代がもったいないから、仕事の日は眼鏡でいい。
お金を稼ぎに行ってるのに、お金が出ていくなんてもったいない。
通勤着なんてユニクロで十分。

といった具合に、快適さと体力、そして節約のために、どんどん仕事の日の外見にかけるお金と手間をそぎ落としていった。
ダイヤモンドなんてもちろん持っていない。

この年齢ならこれくらいのものを持っていないと、とか別にない

オーバーサイズやスニーカーにリュック、ショートヘアも流行から定着したし、楽な服装に慣れてしまったらもう戻りたくない。
革のベルトとか全然使わないから処分してしまったし、ハイヒールもブランドものはメルカリで売った。

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エビちゃんOL全盛期に大学生や社会人じゃなくて本気でよかったと思う。ああいうファッションは実用性に乏しい上に、私にまったく似合わない。髪の毛を巻く時間があったら寝るか、ストレッチでもしたい。

「OLファッション」的なものがすたれていく中でコロナ禍も来て、ワールドやオンワードのようなアパレルは打撃をこうむったのだろう。

調べ物をしていてたまたま何年も前のYahoo!知恵袋にたどり着いたとき、
「40代にもなってちゃんとしたパールのネックレスも持っていないなんて」とか、
「ある程度の年齢になったらちゃんとしたものを身につけないと変な人だと思われる」、的な回答が続出していた。

今はそういう感覚はあまりないのではないか?
年齢が上がれば給料が上がるという時代でもないし、しかもそういうこと言う人たちって専業主婦前提だったりするし。謎。

ビジネスで自分は成功してますよということを示し、相手の信頼を得ないといけない人、弁護士とか、富裕層相手に高いものやサービスを売る人ならある程度お金をかけないといけないのは想像できるけど…
そんなパッと見てどこのブランドとか分かるか?そんなにじろじろ見ないし、正直どうでもいい。
汚いとか臭いとかでなければ、他人の服装なんてどうでもいい。
柔軟剤とか香水がきつい方が嫌だ。

物を買っても自分は変われない

化粧品や香水のプレスリリースとかを見るのは割と好きなのだが、
そんなラグジュアリーな生活をするほど稼いでないし、というか働きたくないからお金を貯めておきたいし…写真とかすごくきれいでコンセプトも素敵だけど、自分には関係ないなと思う。
ジュエリーなんかより、米国ETFとかの方がよっぽどご褒美だし欲しい。

以前は買い物が好きだったし、デパートにも行っていた。
素敵な物、上質な物は色々あるけど、労働しないと生きていけないような自分には贅沢すぎる。
そういうのは富裕層が買うものだ。変な夢を見てはいけない。

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物を買うとき、これさえあれば生活がバラ色になってキラキラ輝きだすかのような期待を抱いている側面があると思う。
これがあれば自分は変われる、というような。
でも実際そんなことないわけで。

高いカバンを持ったからって、メキメキ仕事ができて稼げるようになるわけじゃない。
売る側はそういう錯覚を持たせるのが大事なんだろうけど。

何かを買ったからって、自分は自分のまま。
これからも何かフラフラと買いそうになったら、立ち止まって自分に言い聞かせたいと思う。

昔好きだった「お笑い」が苦手になってしまった

お笑い番組

もう何年も、お笑い芸人がたくさん出てくるようなバラエティー番組を(自発的には)観ていない。
苦手になってしまった。笑えないのだ。

昔は好きで観ていて、「リンカーン」とか楽しみにしてたし、めちゃくちゃ笑った記憶がある。
でも今は、先輩後輩の上下関係、芸人の「嫁」連呼とか、だんだんしんどくなってしまった。

日本版ネットフリックスとかで、自称「テレビではできない尖ったこと」みたいのあるけど、結局既存の枠組みという印象を受ける。
大物芸人がやってる番組もそうだし、「全裸監督」の足は相も変わらず女性を踏みつけており、それは新しくも冒険でもない。

尖ってるというのは、ハンナ・ギャズビーとかのことを言うのではないか?さすがに極端かもしれないが。

落語

お笑いよりずっと後に、落語が好きになった。
セットも何もないところで、おじいさんがおじいさんの姿のままで花魁を演じたりして、しかもそれが変じゃないのも楽しかった。

でも今はなんとなく遠のいてしまった。

飲んだくれ亭主を支える妻とかよく出てくるけど、共依存という言葉が浮かんでしまう。
「文七元結」とか人情噺だけど、娘の身代金みたいなお金を人助けとして他人にポンと渡す。そもそもは父親の博打が悪いのに。

だいたい娘が出てくると、最後にお礼の品みたいに結婚するパターンが多すぎる。

フィクションの世界だから、めでたしめでたしだけど…

残念だし悲しいのだが、素直に楽しめなくなってきてしまった。。

 

ホルモン(センマイ、ハチノス)が怖すぎる。貝が苦手。見た目が怖い食べ物

私はホルモン(内臓肉)と貝類がほぼ食べられない。見た目と食感が苦手だからだ。

・ホルモン

よくある腸のやつはまだ見た目がシンプルなのだが、それでも食感が苦手だ。
いつまでも噛んでいて飲み込みどきが分からず、無理して飲み込む感じになり苦しい。
噛みまくっていると満腹感が増すので、それもしんどい。

見た目が苦手なのは、なんかギザギザで灰色のやつ。深海生物か宇宙生物っぽい。
調べたら「センマイ」だった。
以前、鉄板焼き屋か何かで、同席した目上の人が頼んだのがセンマイだったのだが、不気味すぎた。
見慣れた輪切りのネギが載っているのが不思議なくらい、エイリアン感があった。なんでこんな灰色で、殻じゃなく本体がトゲトゲのものを食べようと思ったのか…

あとハチノスも怖い。昔テレビでおいしくて体によさそうな中華粥が出てきたのだが、そこになぜかハチノスが載せられた。
やめてくれ。色も灰色だし。。日常に潜む狂気!みたいな組み合わせになってて、唐突さが怖すぎた。

・貝類

貝殻は大丈夫だが、中身の形状が怖い。
磯の香りとか言われても、生臭さとの違いが分からない。

子どものころ家族旅行先の旅館で、サザエのつぼ焼きが出てきた。
そもそも酒の肴というか、子ども向けの食べ物ではないのだが、
親が蓋のようなものを外し、爪楊枝でドゥルン、と渦巻きに沿ってほじくり出した灰色っぽい物体
黒っぽい緑の藻?みたいなグチョッとしたものが付着していて、あまりにもグロテスクだった。
なんでこれがいいものとされているのか理解できなかった。

牡蠣も、人気だけど私は苦手だ。生牡蠣はノロウイルスが怖いというのもあるが、調理してあっても苦手だ。
やっぱり見た目が、グレーの本体に黒い縁、やけに複雑な形状。食物だと認識できないのだと思う。

食感も苦手だし、サザエと同じく黒っぽい緑の藻みたいなのが中に入っていて、これは食べて大丈夫なやつなのか?と思ってしまう。

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ホタテの貝柱だけになったものは食べられるが、それ以外は苦手だ。
ヒモの部分は微細な模様みたいなのがあるし、橙色の舌みたいなパーツも不気味すぎる。

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牡蠣をはじめ貝類は豪華なものとして扱われていて、値段も張る。
不意に出されることはまずないので、まだ助かっている。

書いていて気づいたのだが、私は灰色のものを食品として認識できないのかもしれない。
と思ったが、蕎麦もこんにゃくも灰色だが平気で食べられる。動物性で灰色なのがだめなのか?

・ほか、見た目がグロテスクな食材

白子。特に加熱前のもの。旅先の市場でピンクの白子が大量に入った箱があって、脳味噌みたいで卒倒しそうになった。

海外でよくグロテスクと言われるタコには、さほど抵抗がない。

私が挙げたものはどれも酒の肴寄りというか、子どもの頃から家で食べるようなものではないから、単純になじみがないということなのだろうか。

苦手な食材が紛れ込んでいるということはないぶん、まだよかったのかもしれない。

澤村伊智に今さらハマる、「ずうのめ人形」感想

(注意:ストーリーの核心には触れませんが、若干ネタバレがあります。)
澤村伊智「ずうのめ人形」(角川ホラー文庫、2018年)

 

 

ずうのめ人形 比嘉姉妹シリーズ (角川ホラー文庫)

ずうのめ人形 比嘉姉妹シリーズ (角川ホラー文庫)

  • 作者:澤村伊智
  • 発売日: 2018/07/24
  • メディア: Kindle版
 

 前作がかなり面白かったので続編を読んでみた。
前作と同じく、クラシカルなホラーに家族の問題や現代的視点が組み合わされていた。

澤村伊智とホラー小説大賞

興味を持ったので調べてみたら、本人のTwitterによると自称「おじさん」で「妻」がいることから男性と分かり、驚いた。
前作のイクメンに対する怒りみたいなものとかで、勝手に女性だと思っていた。

あと、ホラー小説大賞応募時のペンネームが澤村「電磁」だったのも驚き。なんかSFかラノベみたいな感じで作風と違う。
どの賞でもそうなのか分からないが、応募時からペンネーム変えてる人が多い。
岩井志麻子なんて応募時は「岡山桃子」…これだけ見たら、悪ふざけみたいだ。

ホラー小説大賞についても調べたら、今は横溝正史ミステリ大賞と統合されているらしい。
出版不況のせいか?両ジャンルにまたがるものが多いから的なことが書いてあって、それは確かにとは思ったが。

ホラー大賞は結構厳しく選考しているようで、該当なしという年が結構あった。
該当なし→貴志祐介「黒い家」→該当なし→岩井志麻子「ぼっけえ、きょうてえ」
という流れ、レベル高すぎる。そしてどっちも怖すぎる!

感想

日本人形というモチーフ、話を聞くと自分のところにもやってくる…というホラーの定番なのだが、
やっぱり怖いし、なにより構成が凝っている。ミステリ寄りという印象を受けた。

本作も、前作ほどではないがジェンダー論的な視点がわりとある。
また、無意識のバイアスを前提にした仕掛けもあった。

・料理研究家

料理研究家が登場し、「家庭料理」「家族」が連呼される。栗原はるみとかその系列っぽいな~と思ったら、
参考文献に阿古真理「小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代」(新潮新書)
があった。私も以前読んだことがある。

 

 
栗原はるみは、家族に作って好評だったものを紹介するようなスタンス。
プロデュースされたカフェにも、たまたま行ったことがある。
ランチョンマットには、出された料理とは関係なくいろんなレシピとイラストが小さく書いてあって、
フライドチキンは骨ごとぶつ切りにした鶏肉をじっくり揚げる、とかそういう感じで自分にはまねできないな~と思いつつ料理は美味しかった。

・家族観

家族とか家庭とか、大事だろうけどあんまり強調され礼賛されると、
うらやましさもありつつちょっと違和感を覚えてしまう。
二分の一成人式とか見ても思うけど、その陰にはいないことにされてる人々がいると思う。

家庭料理も、そりゃ美味しい手作り料理がいいだろうけど、
朝起きたら家に誰もいなくて、一人でちゃぶ台の上の菓子パンを食べて学校に行く…みたいな子も結構いると思うし、
家庭の味ってそんなに誰にでもあるものじゃないというか、ある人はラッキーというくらいかもしれないし。

他方で、「家族団らん」「手作り」に強迫的なまでにこだわる親とかがいると、子どもはしんどそうだなと思う。
なんか、一歩間違えると「あなたのためにこんなにやってあげてるのに!」ってなりそう。

ひらがなの怖さ

澤村作品では作品名もそうなっているが、ぱっと意味の分からないひらがなが出てくるのが、怖さを増幅させる。
なんかわけのわからない存在、原始的な感覚に訴えかけるもの、みたいな。
前作で化け物ぼぎわんが発する言葉の中にも、意味をなさない途切れ途切れのひらがながあってそれがかなり怖かった。

ホラー作品って漢字タイトルでおどろおどろしいのも多く、「屍」とかそういう字を使ってたりする。
怖いけど、漢字を見ればだいたい意味は分かる。

より本能に訴えかける怖さは、ひらがなの方だと思う。

運動嫌いでも運動習慣を付ける方法5選

 

はじめに どれだけ運動が苦手か

私は運動が苦手だ。
運動神経がとにかく悪く、10年後には新しい病名がつけられてるレベルだ。
まぐれでうまくいっても、それを再現することができない。
自分の体なのに、今どういう角度でどういう動きをしているのか把握できないため、もう一度同じようにやれと言われてもできないのだ。
特にボウリングなどに(しかたなく)参加すると下手すぎて、頑張って笑顔で楽しそうにふるまったとしてもその場の雰囲気が悪くなる。
なぜ雰囲気が悪くなるかというと、大抵教えてくれようとする人が登場するのだが、上記の通り自分の動きが分からず同じようにもう一度やろうとしてもできないので、その人も諦めるし、やる気がないように思われてしまうのだ。
コロナ禍で当分ないだろうが、もう誘われても行かない。

また、精神面でも体育会系のノリや根性論、謎ルール(1年生はジャージの長ズボンを履いてはいけない、とかそういうやつ)をどうしても受け入れることができないので、部活からも距離を置き続けてきた。

スポーツ観戦にもほとんど興味がない。オリンピックなどでアスリートの姿を見てすごいな~とは思うが、生で観たいとか大画面で観たいとまでは思わない。

それでも、あまりに運動不足すぎ、座りっぱなしでいると健康被害が出てくる。
長生きを目指しているわけではないけど、日常生活で他人の手を借りるのは嫌なので、一人で生活できるように健康寿命は延ばしておきたい。
また、病気になると余計なお金もかかるし、やりたいことができなくなるおそれがあるので、セミリタイアには健康が重要だ。

今回は運動がめちゃくちゃ苦手でもなんとか続いているものがあるので、紹介していきたい。

運動を続ける方法

1 自分が苦痛を感じない運動を選ぶ

人付き合いが苦手であれば、テニスやバレーボールなど他人がいないとできないものは選ばない。
走るのが苦痛なら走らない。

私の場合は、一人でもできて運動神経があまり関係がないものを選んだ。
具体的には、

・歩く(散歩、階段を使うなど)
・ヨガ
・ピラティス
・ストレッチ
・筋トレ(マシンを使わないもの)


などである。

うまい下手・勝ち負けとかそういうものとは無縁のものばかりだ。
球技やチームプレイは最初から候補にもならなかった。
ヨガなど失敗という概念がなく、呼吸できてればそれでよしという感じなので気楽である。

2 続けられる状況を作る

・一人でできる
自分の都合さえよければいつでもでき、チームの人数を集めたりしなくてよいものにする。

・天候に左右されない
雨とか暑さ寒さに関係なく続けられるよう、できれば屋内でできるものにする(上記リストだと、散歩は厳しいが)。

・自宅あるいは近所
自宅でできるものか、スタジオなどに通うにしても自転車圏内など、できる限り楽にアクセスできる場所にしておく。

3 がちがちにしない

ちょっとでもいいからやる。できない日があってもまた次の日やる。
ちょっとくらいできない日が続いても、「もうだめだ~」とならずにまたやる。
それくらいでも、全然運動しないよりはマシだ。

また、合わないと思ったり飽きたら別の運動に変えてみる。

4 なんらかの快・利益と結びつける

例えばストレッチをやると凝り固まった体が伸びて気持ちいいとか、肩こりがマシになったとか。
ヨガ教室の床暖房が気持ちいいとか。
朝散歩するとメンタルの調子がよくなったとか。
楽しい要素があるか、効果が見えると続ける気になる。

5 他人と比べない

そもそも一人ででき、勝ち負けもないものを選べば比べようもないのだが、情報収集の過程ですごい人を見ても自分とは比べない。
別の世界の人である。
比べるなら自分自身と比べる。前はこれができなかったけどできるようになったとか。

 

 続かなかった実例

私は以前、大人になってから始めるバレエに興味を持って、通っていたことがある。
チケット制でわりと自由に通えるのだが、電車に乗る必要があり、着替えやシューズも必要だった。
さらに、バレエはどうしても見た目が重要だし、理想形がはっきりとある。
発表会などはなく体を動かすことが目的のクラスではあったが、それでもあるべき型に近づけていくものだし、大人になってからでは理想形には正直なれない。

また、大きな鏡の前で他人と並んで動くのは辛かった。どうしたって自分の外見の粗が見えてしまうのである。
ガマの油が出そうだ。

というわけで、わざわざ電車に乗って行きたいとは思えず、続かなかった。

まとめ

現在、なんらかのストレッチや筋トレをほぼ毎日やり、ヨガ・ピラティスは年単位で続けている。
また、毎日ではないが休日朝に近所を散歩し、二度寝やメンタルの落ち込みを回避できている。

1 自分が苦痛を感じない運動を選ぶ
2 続けられる状況を作る
3 がちがちにしない
4 なんらかの快・利益と結びつける
5 他人と比べない

私ほど運動神経の悪い人はそうそういないと思うので、参考になれば幸いである。